Piano Sonata~おまけ~

「ねえ、エマ。どうしてヴァンツァーは私をモデルにデザインを描くんだろう?」

シェラは、採寸をしてもらいながら栗色の髪の美女にそう訊いた。
この採寸、言うまでもなくクーア夫妻主催の『船上パーティ』に着ていくドレスのためのものだ。
エマは「必要ない」と言うヴァンツァーを、

「私が採寸したいの。何か文句ある?」

との一言で引き下がらせたという。
シェラとは違った意味で、ヴァンツァー泣かせと言えよう。

「どうしてそんなことを?」

手際よく次々と寸法を測っては手元の用紙に書き込んでいく優秀なスタイリストは、とても機嫌良さそうに菫色の瞳を覗いた。
上にも下にも兄弟のいない彼女にとって、この天使のように愛らしい青年は、格好の遊び道具だったのだ。
何を着ても似合うし、顔は綺麗だし、女装させて化粧をしてもなお美しい。
大好きだった銀髪を切られた時は、思わず本気で怒ってしまった。
あの髪を結い上げてごくちいさな宝石のついた金の鎖で飾ると、ため息モノの華麗さだったのだ。
シェラのためにはいくらかけても文句を言わない、心は狭いが懐具合はかなり広い男が社長なので、着せ替え放題だった。
それを楽しみに仕事をしていたようなものなのに。
だから今回は存分に弄ってやるのだ。
自然と笑みも零れるというもの。

「え……あ、いや……」

訊いたはいいものの、何と言えば良いのか銀天使は言葉に詰まる。
採寸の手は休めず、エマは黙ってシェラの口から言葉が発されるのを待つ。
この天使があまり弁が立つ方ではないことを知っているからだ。

「……だって、結局は依頼主に合わせてデザインを描き直すだろう? わざわざ私で作る必要はないじゃないか」

その呟きに、エマはそっと笑いを噛み殺した。

「シェラ。それは違うわ」
「?」

どういうことか分からずに首を傾げる。

「描こうとする服のモデルがあなたなんじゃなくて、あなたがいるからデザインが湧いてくるのよ」
「私がいるから……?」

よく分からない、という表情をしてくるので、エマはまるで姉になったような心境で諭すように話す。

「あなた、綺麗な洋服や装飾品は好きでしょう?」

これには頷くシェラ。
あちらの世界にいるときから不思議だったのだが、女として生きていたせいか、布地や髪飾りを見ると妙な気分になった。
不思議な高揚感と言おうか。
ワクワクしたのだ。
時間が許すならば、櫛や簪を髪にあてたり、布を身体にあててみたりした。
すぐに「何を馬鹿な」と思って買うことまではしなかったのだけれど。

「でも自分ではあまり着飾ろうとしないわよね。なぜ?」

シェラは、どうしてそんなことを訊くのだろうという顔つきになったが、思ったままを答えた。

「だって、必要以上に目立つのは本位じゃないし、私は男だから、あまり飾り立てるのもおかしいと思うけど?」

こちらの世界にきてからはあまりありがたいと思ったことはないが、自分の容姿が人目を引くことを自覚しているシェラはごく普通の服装をしていても十分目立つことを知っている。
着飾ったら、それこそ人目を引きすぎておちおち街も歩けない。
合言葉は『目指せ! 一般市民!』なのである。
他ならぬリィの言葉だから、実践しなければいけない。

「でも、うちで作った服は着るわよね。十分あなたを目立たせるものだと思うけど、どうして?」
「だって、それは商品の宣伝に……」

大規模な宣伝を好まないヴァンツァーは口コミだけで客を集めている。
だが、人の口というものは、時にどんな派手な宣伝よりも大きな効果を発揮するものだ。
特にアトリエのスタッフには人目を引く人物が多い。
むろん仕事に完璧を求めるヴァンツァーが顔を基準に採用をするわけはない。
だからそれは偶然によるところが大きいのだ。
それでも、見た目も麗しいスタッフが自社の製品を身につけて外を出歩く効果はちいさくない。
この惑星のみならず、多くの星々を巡ることもあるので、その宣伝効果は馬鹿にできない。
それに、『本物』を作るのが目的の仕事なので、必然的に数はこなせない。
注文が多すぎても困るのだ。
まあ、シェラに関してだけは、その『数』のうちには入らないのだけれど。

「結果としてあなたは綺麗な服を着て、街を歩けばことごとくの人目をさらっているわけよね?」
「それは……仕事だから」

そうだった。
仕事だから、これはしなければいけないことだから、やっているのだ。
ただでさえあの男の世話になって生活をしているのだから、何かしらの役に立たなくてはいけない。
自分にできることは、家事と製品の試着くらいしかないのだから。

「嫌々着ているのかしら?」

これだけ話しているのに、エマの手は正確にシェラの採寸を続けている。

「そんなことない!! 好きじゃなかったら、着たりしない!!」

慌てて否定するシェラである。
いつぞやヴァンツァーが言っていた。
嫌々するのでは仕事にならない、と。
自分もそう思う。
やりたくないことをするのでは効率が下がるし、失敗にも繋がる。
素敵な服を着て、嬉しそうな表情でいることが何よりも肝要なのだ。

「こら、動かないの。じゃあ、あなたはヴァンツァーのデザインした服を、気に入って、着ているのね?」
「? あ、ああ……もちろん……?」

噛んで含めるような物言いをするエマ言葉の意図が、どこにあるのかは分からない。
だが、そんなものは決まっている。
あの男の手は、本当に魔法かと思うくらいに様々な色調や形の服を描き、依頼主にもっとも似合うものを提供する。
自分に作ってくれる服も宝飾品も香水も、他で買うよりもずっと好みだったし、身体にも合った。
あの男は、本質を見抜く目を持っているのだ。
むろんそこに行者として生きていた時の感覚が息づいていることは言うまでもない。

「じゃあ、綺麗な格好をして楽しいのね?」
「うん……?」

困惑気味ながら肯定を返したシェラに、エマは満面の笑みを浮かべた。
きつめの美貌が、花咲くように綻ぶ。

「だからよ」

何とも簡潔な最終結論に、シェラは首を捻ることしかできなかった。

「エマ?」
「あら、いやだ……」

採寸を終えて寸法を記入した紙と、もう一枚別の紙を見比べて、エマはわずかに目を瞠った。
次いで、美しい柳眉が顰められる。

「エ……エマ?」

途端に機嫌が下降したようになった女性に、シェラはおどおどと声をかけた。
綺麗な顔の人間が不機嫌になると恐ろしいのは、よくよく知っているのだ。
あまり刺激してはいけない。

「御覧なさいよ、これ」

言って見せてきた二枚の紙には、寸分違わず同じ数字が書き込まれていた。

「これが、どうかしたの?」

不思議そうに訊いてくるシェラに、エマが物騒な笑顔を貼り付けてこう言った。

「こっちは今私が採寸したもの。こっちはヴァンツァーが渡してきたもの。言ってる意味、分かる?」
「…………」

違う人間が書いた、同じ数字──しかも片方は採寸などしていない。

「あらあら。こんな正確な採寸、どうやってしたのか訊いてもいいかしら? 今後の参考にするわ」
「エマ?!」

思わず赤面するシェラだった。

「何もしてないよ!!」

そう、何もしていない。
ただちょっと、無駄かと思うくらいに『触っている』だけだ。
意識せずそのことに思い至ったシェラは、眼前の美女を喜ばせるだけだというのに、慌てふためいた。
わざわざからかうネタを提供しているようなものである。

「いいのよ、別に。私はあなたが大好きだし、可愛げないヴァンツァーに渡すのは癪だけど、でもお似合いだもの」

語尾にハートでも付きそうな程の全開の笑顔であった。
だからこそ、余計にそれが恐ろしかった。

「エマ!! だから本当に──」
「ねえ、シェラあなた」

声をかけられてシェラはつい言葉を切った。

「……何?」
「あのドレスのデザイン見て、『天使の服』って言ったんですって?」
「……」

血のような深紅。
それにも負けない気高さを持った純白の天使が着る服。
あの色調と、黒い羽根飾りでどうしてそんなことを考えたのか、今思えば分からない。
というか、あの男があの部屋で描くデザインはまず間違いなく自分が着る服になるので、自身のことを『天使』などと評したことが、何とも恥かしかった。
あの時の自分はそれを知らなかったとはいえ、穴があったら入りたい。
だが、記憶をなくしているときは、確かに『天使の服』だと思った。
だから頷く。

「十分じゃないの、それで」
「…………」

菫の瞳を軽く瞠る。

「あれは、あなたにしか着ることが許されない、あなたのためだけに描かれた衣装よ。あなたを飾るために生まれたの。他の服も全部そう。服だけじゃないわ。あの人、あなたを綺麗にすること以外、何にも考えてないのよ。仕事だと思えば、あなたが好きな格好をできると思ってね」

真剣な表情でそう言ったエマが、若葉色の瞳をやわらかく細めた。

「妬けちゃうったらないわ」

そして、また真剣な表情に戻すと腰に手を当ててこう言った。

「いいこと? 間違っても『多少の浮気には目を瞑る』とか言っちゃダメよ?」

あの男の場合、浮気を公認されたらそれを自分に対する無関心と取るハズだ。
決して、寛容な態度だなどど、世の男性陣のように崇めたりはしない。
言われたシェラは絶句して、自分が階段から落ちる前にしていた一連の会話を思い出していた。
そういった意味で使ったつもりはなかったが、結果的にそうなっていたかも知れない。

「──それ、言うとどうなるのかな……?」

ピンときたらしいエマが、何とも複雑そうな表情を浮かべた。

「──シェラ。それ、今度ヴァンツァーに言ったら絶交よ」

その声音が余りに低かったため、シェラは冷や汗を流しそうになって、それでも勇気を振り絞って訊いた。

「ど……どうして……?」

美女は肩をすくめると、嘆息と共に天井を仰いだ。

「──八つ当たりされるから」

そうか。
それが原因であの人は機嫌が悪かったのか、とエマは納得した。
むろんシェラが心配だったこともあるのだろうが。
原因を作る身でありながら、シェラはその一言に腹を抱えて笑った。

「ヒトゴトだからって、笑わないでよ! あの人あなたには当たらないけど、私たちには容赦しないんだから!!」

本当はさして困ってもいないのに、顔を赤くして柳眉を吊り上げる仕草はとても可愛くて──若返っている分、実はシェラの方が年上なのだ──シェラは「ごめん」と謝ると、彼女の頬にキスをした。

「……あなた、誑し込みの才能あるわよ」

茶目っ気たっぷりに、しかし結構本気でエマはそう言った。

「ああ……うちにその道の『専門家』がいるんだ」

感化されたかな、とちょっと困ったように眉尻を下げて苦笑するシェラに、エマは大爆笑を返したのだった──。




END.

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