変身

ある朝シェラ・ファロットが何か気がかりな夢から目覚めると、自分がベッドの上で一人前の肢体を持った女性に変わってしまっていることに気が付いた。

「…………………………………………」

年のころはあちらの世界にいた時の姿と変わりない。
十九といったところだ。
月光を集めたような眩い銀の髪と、紫水晶のような菫色の瞳が印象的な、少女と見紛う美貌であったが、いかんせん生物学的には男だ。
いくら『任務』のために女として育てられていたとしても、いくら天使と評される愛らしい顔立ちをしていたとしても、いくらもったいなくとも、『彼』は男だった。
染色体はXY。
しかし今、ベッドに身を起こし呆然としている体は、明らかに女性のものであった。
もともと線の細い体のためあちらの世界でも男とばれなかったのだが、あのころと違い小ぶりだがしっかりと胸にはふくらみがある。
下半身の感じも違う。
今まで着ていた寝巻きは随分小さくなってしまっていた。
それはそうだ。
眠りに就くまで、「彼」は十三歳だったのだから。
昨夜は疲れていたからか、気分が悪かったからか、やたら激しい睡魔に襲われいつもより早く床についた。
だから、ぐっすり眠ったはずだ。

「………………」

寝起きは非常によろしいシェラだったが、自分はいまだ夢の中にいるのではないかと思ったものだ。
常人より夜目が利いてしまうことも、災いしたかもしれない。
たっぷりとしたトレーナー生地の長袖の寝巻きを着ていたはずなのに、ぴちぴち半そでのチビTになっているのを見てしまったときの驚愕といったら!
朝といっても、太陽が顔を出すにはまだ時間がかかる。
それでも、自分の体の変化ははっきり見て取れた。
だが、常に冷静さを欠くことのない元・最優秀の行者は、状況を分析しようと頭をものすごい速さで回転させた。
男性が女性の体を持つということは、常識では考えられないことだが、幸か不幸か前例を知っていた──リィだ。
銀髪の『美少女』が主人と仰ぐ、これまた美貌の少年は、あちらの世界では現世の戦女神として無類の強さを発揮していた。
しかしそれは、おそらく何らかの魔法の効果が働いてのものと考えられる。
十九歳だったシェラが十三歳の姿となって連邦大学に通っているのも、リィの相棒であるルウの魔法によるものだ。
しかし今は違う。自分はルウに女性にしてもらった覚えはない。

──では、どういうことだ……?

そこまで考えて、シェラはとりあえず今すぐしなければならないことに気付いた。 すなわち、『服をどうにかする』ということに、だ。
ここは連邦大学の寮だ。
あてがわれた自分の部屋にあるのは、もちろん十三歳の体に合わせたものばかりである。
いくら女性の体とはいえ小さすぎる。

──裁縫が得意でよかった……。

少女になった少年は心から思った。
明らかにサイズの合わない服を脱ごうとして、シェラは一瞬手を止めた。
自分は男だ。
誰が何と言おうと、実際に女性の体を持っていようと、女として育ってこようと、本当は男なのだ。

──どうしよう……。

勢いのままに脱いでいられたら、どんなに楽だったことか。
手を止めてしまったことが悔やまれた。

──……ごめんなさい!

誰への謝罪か、シェラは硬く目をつぶり寝巻きを脱いだ。
着替えがなかったこともあったが、恐ろしくて下着にまでは手を伸ばせなかった。
目を瞑ったまま手探りで布団のシーツを剥がし、そのまま体に巻きつけた。
ようやく目を開き、机の引き出しから針と糸を取り出し簡単には解けない程度に糸で留めた。
普通に動くには支障ないだろう。
一度深呼吸すると周囲の気配を探りながら部屋の外に出た。
誰かに見咎められでもしたら事だ。
音もなくリィの部屋の前に立つ。
ノックするまでもなく、住人が出てきた。

「……やっぱりお前のほうが女っぽいよなあ」

見知って久しい相手の見慣れない姿を目にし一瞬目を見張ると、にっと笑ってしみじみとリィは呟いた。

「──……っぽいではなく、今の私は正真正銘女性です」

生真面目に訂正してはいるが、心なしか顔が青ざめている。

「みたいだな。どうだ? 俺の気持ちが分かったか?」

いつもと変わらず光の強い緑の瞳で真っ直ぐ見上げられ、シェラはほんの少し、安心した。

「変な感じです。あるべきものがなくて、ないはずのものがある……」

実際困っているので困惑した表情でいうと、リィが声を立てずに笑った。

「おれもそう思ってたよ」
「……あの……リィ?」
「何だ?」
「これは、魔法でしょうか……?」

自分が思い当たる原因は、これくらいしかない。

「違うな。そんな気配しなかった」

普通の人間より魔法に近い場所に生きている彼が違うというのだから、疑いようはなかった。

「とりあえず入れ」

寝巻き姿の金髪の少年は、自分の部屋に客人を招き入れた。

「……はい」

部屋に入りリィは椅子に、シェラは床に腰を落ち着けると、金髪の少年が口を開く。

「心当たりは?」

寮の部屋は個室だったが、鍵は掛からない。
人に入ってこられたくない彼らは、他の部屋の人間を起こさないよう小声で話す。
おそらく、そんなことをしなくとも感覚の鈍い子供たちは起きだしたりしないだろうが、念のためだ。

「いいえ……あの、魔法の力を借りずに、男性が女性になることは可能なのでしょうか?」
「うーん……手術受けるしかないよなあ……お前、して、ないよな……?」

なぜか歯切れの悪いしゃべりかたをする。

「当然です。そんな時間ありません」

その様子に気付いているのかいないのか、シェラはきっぱり言い切った。
性転換手術は、性同一性障害の人間のみに許されたもので、むやみに自分の性別を変えることはできない。
むこうの世界では、実際女の体だったら『任務』が楽だったろうに、と思ったことはあるが、女になりたいなどと思ったことは──。

「あ……?」

ない、と結論付けようとして、とある考えに行き着いた。

「どうかしたか?」

リィが訝しげに尋ねてくる。

「あ……いえ……何でも…………」

頭に浮かんだ完璧な造作の顔を一所懸命消し去って、シェラは無理矢理微笑んだ。

「何か分かったんじゃないのか?」

本物の宝石よりも深く透明な緑玉の瞳が、射抜くように見つめてくる。

「い……いいえ」

この瞳に嘘をつくのは絶対に嫌だった。
だから、自分の考えたことこそが間違いなのだと思おうとした。

「……お前、何か変なものでも食ったのか?」

随分な言いようだが、常のシェラと違い歯切れが悪い様子が気になったのだろう。
対して、言われた方は息を呑んだ。

「……食べてはいませんが、飲みました……」

愕然として、瞬きもできない。

「拾い食いは感心しないぞ?」
「拾ってません」

そこはきっぱり否定する。

「拾ってませんが……」

冷や汗をかきながら言いよどむ。
次いで、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

「……おい?」

銀色のハリネズミと化した美少女に何と声をかけたものか迷っていると、少女はきつく手を握り締めた。

「あの、男……!」
「誰だって?」
「レティシアです」

大声を出さなかっただけ偉い。

「あいつ……何したんだ?」

呆れたようにリィが尋ねる。

「昨日、遊園地へ行きましたよね……」
「行ったな」

昨日は日曜日で学校は休みだった。
社会勉強を兼ねた暇つぶしに、新しくできた遊園地へと行ったのだ。
メンバーは、金銀黒天使と元・死神ふたりの計五人だ。
シェラはどうしてヴァンツァーやレティシアを連れて行かなければならないのか、と憤慨した。
それでも、リィが連れて行くと言うのだから、仕方なしに従った。
何かあれば、身を挺してでも庇えばいいのだ。
ひとりひとりでも目を引いてしかたない面子が寄り集まっているだけに、周りが煩くてしかたなかった。
実際声をかけてくる勇気のある者はいなかったが、視線は常に注がれていた。
アトラクションに乗ろうとすると、人々がこぞって順番を譲ってくれるので、レティシアなどは喜んでその状況を受け入れていた。

「あの男のせいで私は倒れました」

憎憎しげに、シェラはそう言った。
途中で二手に分かれて、いくつのアトラクションを制覇できるかを競争することになった。
もちろんレティシアが言い出したことだ。
シェラは当然リィとルウについていく気だった。
が、何を思ったのかレティシアがむんずとシェラの腕を引っ張り、自分とヴァンツァーに同行させたのだ。
抵抗しても、離してくれるような男ではなかった。
人が退いてくれるというので、ここぞとばかりに大人気の絶叫マシーンばかりハシゴしたのだ。

「おれたちと分かれてからか?」
「はい。速いし揺れるし3D画像に目が馴染まないしで、散々でした……」

目が良すぎるのも考えものということか。
その遊園地の中で最も速く、最も揺れて、最も高低差の激しいコースターが、シェラに止めを刺したのだ。
それに乗る前から気分は悪かった。
しかし、本人あまり自覚がないけれどかなり負けずぎらいのシェラは、レティシアの挑発に乗ったのだ。
スタート直後に早くも後悔した。

「だからやめろと言っただろうが」

コースターから降りることさえできないシェラをヴァンツァーが抱きかかえて運び、外のベンチで休むことにした。
あの男に抱きかかえられている、ということが、そもそも激しく嫌だった。
その隙に、レティシアが飲み物を買いに行ったのだ。

「レティーの手から口にするもの受け取るなんて、お前らしくもない……」

本当にその通りだった。

「……正確にはヴァンツァーからです……」
「黒すけ? だったらあいつが原因じゃないのか?」

言われて首を振る。

「飲み物を買ってきたのはレティシアです。あの男から飲み物を受け取るのは嫌だったのでつき返しました……」

それはそれでひどい仕打ちだが、彼とシェラは犬猿の仲──これはシェラが一方的に抱いている感情だったが──だった。

「それでどうして黒すけが出てくるんだ?」
「……つき返したんですが……その、あの男……ヴァンツァーが、冷たいものでも飲めば少しは気分が良くなる、と……」

今現在女性のシェラは、なぜか居心地が悪そうに身じろぎしてうつむく。

「で?」
「本当に嫌だったんですが……目の前に押し付けてきて……」
「うん」

リィは何だか面白そうににやけている。
俯いているシェラは、そんなことには気付かない。

「ベンチに横になって、あの男の膝を借りていたので自由はきかないし、本当に吐きそうだったので……仕方なく……」
「ふうん」
「……どうして楽しそうなんですか……?」

別に、と短く答えて、リィは頭の上で手を組んだ。
おそらくまだ隠している逸話があるんだろうなあ、と思いながらも聞くことはしなかった。

「行ってみるのが一番早いな」
「あちらの学校へですか?!」

思わず大きくなった声を制されて、慌てて口を押さえる。

「だって、本人に聞くのが一番だろう? もしかしたら違うかもしれないし」
「それはそうですが……」

言いよどみ揺れる紫の瞳を見つめ、リィは首を傾げた。

「作ったにしても、何だってそんなもの……」

性転換の薬──らしきもの──を作り、それをシェラの飲ませた意図はどこにあるのだろうか。

「……面白そうだと、思ったのでは?」

ほどんど唸るように言う。
美少女っぷりが台無しだなあ、と思いつつも、リィも納得するような理由だった。

「自分の体が女になるなんて、世の一般男子だったらこの上なく喜ばしいことなんだろうけどな」

自らも経験のあるリィは、複雑そうに苦く笑った。
あちらのことを思い出しているのだろうか、と思い、シェラはこう言った。

「私たちも一般男子じゃありませんか」

しれっ、と言い切ったシェラに、リィは楽しそうな笑みを向けた。

「違いない。じゃあ行くか」

言うが速いか少年は椅子を離れ、洋服ダンスから外出用の服を取り出している。

「あ、そうだ」

振り返り、少女を見た。

「シェラの服、どうしようか?」
「ああ……」

簡易ワンピースの裾をつまんで、シェラは呟く。

「その格好も似合ってるけどな。シーツがちゃんと洋服に見える」
「これで外を歩いてもおかしくないならこれで……」

リィは「そうか」とだけ答えた。
本人がそれで良いと言っているのだし、何より代替案がなかったのだ。

「寮を抜け出る言い訳は、どうします?」

むしろそれこそが問題だった。

「そうだなあ……急にふたりもいなくなったんじゃ、怪しまれるよな」

それに、外出は学校側が管理しているので、寮への出入りはチェックされている。

「まあ、なるようになるだろう」
「リィ……」
「反省文くらいなら書くさ」

笑顔でそう言われて、シェラは申し訳ない気分になった。

「私のせいで……」
「違う」

シェラはきょとんとした顔を向ける。

「困った時は助け合うものだ」

真摯な瞳は、いつもシェラの弱さを叱咤し、救い上げてくれる。

「……ありがとうございます」

そう言ったシェラに、リィは満足そうに笑った。
そしてふたりは、やっと顔を出し始めた太陽の下へ歩を進めたのである。





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