変身

問題のレティシアとヴァンツァーのいるエクサス寮には、バスに乗って寮の朝食時には着いていた。
目立って仕方ないシェラを裏庭の木陰に待たせ、リィは単身食堂に乗り込んだ。
彼らを探すのに時間はいらない。
リィの目が常人離れしているせいもあるが、彼らの周囲だけ空気が違うのだ。
食堂の奥まった席に、やたら目を引く二人組みを発見した。
彼らも気付いたようで、レティシアが驚いた顔をして立ち上がった。

「王妃さん、どうしたよ?」

すぐにふたりのもとに着いたリィを見つめる周囲の視線は痛いほどだ。
金色の天使がやってきたのだから仕方のないことだった。
隣ではヴァンツァーが相変わらずの無表情で食事を続けていたが、食べ物を嚥下したのか、やっと口を開いた。

「ひとりか?」

いつもリィの後ろをくっついて離れないシェラがいないことを訝しがっての言だろう。

「そのことなんだが……」

手短にシェラの置かれた境遇と犯人の目星を話すと、黒髪の美貌の少年が呆れた、という表情を見せる。

「そんなものを作っていたのか……」
「俺じゃねーよっ! 第一、んなもん作ってどうすんだよ」

反論した猫目の少年に、リィは彼らの前に座りながら言った。

「面白そうだからじゃないかって。シェラが」
「俺って、とことん信用ねえのな……」

レティシアが脱力する。

「消去法だろう」

ヴァンツァーが隣の少年に言う。

「お前じゃないから俺か? じゃあなんでお前は外れるんだよ」
「俺はカップを渡しただけだからな。買ってきたのはお前だ」
「お嬢ちゃんに渡す時、何か入れたかもしんねえだろうが」
「愚問だな。入れる理由もない」

そう言った瞬間、猫目がきらりと光った。

「ほんとにないのか?」
「どういう意味だ?」

無表情はそのまま、首を捻って問う。

「だから、お嬢ちゃんが本物のお嬢ちゃんになっちまったわけだろう? お前ほんっとに心当たりないわけ?」
「ないな」

短く言い切られて、レティシアは眉を顰めた。

「あーそーかよっ」

つまらなそうに吐き捨てる。

嘆息したヴァンツァーは、リィに向き直る。

「で、銀色はどうしている?」
「ああ、シーツ一枚巻きつけただけだからなあ……人目を引いて仕方ないから、裏庭で待たせてある」

リィの言葉が意図的か否か、またそれが原因か否かは分からないが、ヴァンツァーは眉宇を曇らせると立ち上がった。
歩き出そうとしてまだ不機嫌そうな少年に声をかける。

「レティシア」
「何だよ」
「お前の服を一着持ってきてくれ」
「……お前の貸してやりゃいいじゃねえか。お嬢ちゃん俺のじゃ不審がって着やしねえよ」

片眉を器用に吊り上げて、意味ありげに口元を歪める。

「王妃」
「だからそれやめろって……」

げんなりしてリィがため息をつくのにも構わず、ヴァンツァーは続けた。

「銀色は元の姿とさして変わらない体型か?」
「女の子だからなあ。ちょっとばっかし丸いけど」
「やはり俺の身長とは合わん。お前の方が近い」

言われた少年は肩をすくめた。

「……ったく、今はさして変わんねえだろうが」

隣の少年には聞こえないように呟いて席を立つ。

「王妃さんも来てくれ」
「お前もいい加減しつこいぞ? しかも何でおれまでついて行かなきゃならないんだ?」
「いいから。馬に蹴られたくねえだろ」

言うと、半ば無理矢理リィを引っ張って行ってしまった。
食堂中の生徒が見送ったのは言うまでもない。
それを見送ると、黒髪の少年は問題の銀天使の元へと向かった。


本当に、そこには天使がいた。
遠目には透けるような白い肌と陽に反射する銀色の髪しか見えないが、少年はその人物が宝石のような菫色の瞳を持っていることを知っていた。
シーツだという服も、さながら天女の羽衣のようだった。
足音を立てない歩き方はいつものものだったが、気配までは消していなかったので、天使が気付いて振り返る。
少々驚いたように軽く目を見張る。

「ヴァンツァー……あの人は?」

聞き慣れたものよりわずかに高い声。
見慣れたものより、どこがどうとは説明できないがやわらかな印象の顔立ち。

「レティーと、お前が着る服を取りに」

そんなことを考えつつ、今も無表情は崩れない。
短いやり取りにシェラは小さく息をつき、「そうか」と言った。
瞳が不安げに揺れている。
あまりお目にかからない表情である。
ヴァンツァーは無言でシェラの横に立つ。
幹に背中を預けるかたちだ。
立っているヴァンツァーと座っているシェラではあまりはっきりしないが、いくぶんか少年の方が背が高いようだ。
そうして並んだ姿は、まるで一幅の絵画のようだった。
どちらも類稀な美貌の主である。
新月の闇夜と、夜空に光をもたらす満月のようなふたり。
しばらく沈黙が続く。
現在季節は秋。
冬に近い頃だ。
時折冷たい風が吹く。
少々肌寒いかもしれない。

「寒くないのか?」

真っ白なシーツを胸を隠すように身に着け、裾は長く足首までを覆っている。
上半身で余った布で、肩を覆ってはいるが、腕は剥き出しだ。

「いや……」

目を合わせずにうつむいている少女が言葉を続ける。
ヴァンツァーと同じ空間にいるのに、会話がないという状態が落ち着かないのだろう。

「──レティシアじゃ、なかったのか……」

確認する口調に、ヴァンツァーは頷いた。

「……ああ。心当たりは?」
「まったく」
「薬以外の線は?」
「魔法ではないと、あの人が言っていた……」

それではお手上げだと思い、ヴァンツァーは肩をすくめた。
色づき始めた木の葉を、風が揺らす。

「あのふたりが戻るまで、この議論はお預けだな」

シェラも素直に頷いた。


やっとのことでリィが安全のお墨付きをくれたレティシアの服を受け取り、離れた木陰で着替えたシェラは、すっかり男装の麗人だった。

「なんつうか……俺の服が合ったのはいいんだけどよ、合っちまったことが悲しいわな」
「どうしてだ?」

リィが不思議そうに呟く。

「だってよお、王妃さんが女だったときは出るとこ出て引っ込むとこ引っ込んでただろ? 嬢ちゃんほとんどまっ平──」

言い終わる前にシェラが飛び掛っていた。
が、それをまともに受けるレティシアではない。
ひらりとかわす。
ほとんど紙一重だ── しかも、わざと紙一重で避けている。

「何怒ってんだよ。俺は事実を言ってるだけだろうが!」
「私のことなどどうでもいい! この人に対する態度が気に入らん!!」

男物の服で動きやすいのを幸いと、シェラは半ば嬉々として攻撃を繰り出す。
女の体でも以前と変わらず動けることが嬉しかった。

「シェラ」

リィにやんわり止められ、ぐっと息を呑む。

「俺は当然の男心を口にしたまでだ!」

息も乱さず、猫眼の少年が色素の薄い頭をかいている。

「ヴァッツお前も何とか……って、そーいやお前見てくれどーでもいいんだよな」

ちなみに見てくれだけでなく年齢も問わない。
が、条件はある意味かなり厳しく、自分を見ても熱を上げない人間でないといけない。
尋常でない美貌に、放っておいても年齢問わず女性を惹きつけてしまう少年は、ちらり、と視線を動かしただけ。

「分かるよな、王妃さん?」
「おれには人間の女の人の良し悪しは分からないからな……あ、でもジャスミンのは大きかった」

そうだったそうだった、と華やかな美貌の、見た目最年少の『男』は大きく頷いていた。

「──お嬢ちゃん!!」

怒鳴りつつ懇願するという、実に珍しい態度でレティシアは最後の砦に視線を向けた。

「わ……私は……っ! き……興味ない!!」

噛み付くように返した言葉に、元から大きな瞳をさらに大きくして少年は天を仰いだ。

「興味ないぃ?! お前いくら女として育ったからって、いい年してそれは異常だ!」
「うるさい! お前に迷惑かけてない!!」

ほとんど自棄になっていた。 顔は真っ赤だ。

「こう言っちゃなんだが、まともな男いねえのかよ……」

話題の提供者は、肩をすくめて大袈裟にため息をつく。

「おれたちみんな、まともな一般男子じゃないか」

リィが緑の瞳を光らせて、にっと笑う。

「……涙出るくらいな」

言いながら彼の瞳も楽しそうだ。

「うわあ、シェラ美人!!」

第三者の声は四人のすぐ近くに現れた。
それほど近付くまで、足音も、気配もしなかったのだ。

「ルーファ。早かったな」

どうやらこの少年が相棒を呼んだようである。

「おはよう、エディ。しかしまあ、シェラ! ちょっと会わないうちに、すごく綺麗な女の人になっちゃって」

彼の言ってることに、文法的におかしな箇所はない。
ただ、『ちょっと』が表現する時間が、二十四時間もなかったことだけがおかしかった。
満面の笑みで両手を取ってぶんぶん振り回され、シェラは困惑した。

「え……と。こういうときは、ありがとうございます、が正しいんでしょうか?」
「もちろんだよ! どうしたのその身体? 手術でも受けたの?」

冗談か本気か分からない言葉に、シェラは泣きそうになった。

「やめてください! どうして私が!!」
「嫌なの? とっても綺麗なのに」
「ルーファ。元に戻してやってくれないか?」

言うと、肩よりも少し長い黒髪を束ねた青年は、首を傾げた。

「男の子に戻すの? もったいない」

これは本気で言っているらしい。

「だってこのままの姿じゃ学生に戻れないだろう?」
「レティーやヴァンツァーと一緒に高校生になればいいじゃない。年なんかどうとでも誤魔化せるし」

何ともはた迷惑なお言葉である。
元・死神ふたりでも目立って仕方ないのに、そこにこんな美少女が加わったのでは『一般市民』の道はさらに遠のく。

「そりゃあ無理だ」

言うレティシアは苦笑している。

「そいつの周りに黒山の人だかりができる。ガキの姿だからまだ無事で済んでんだ」
「それ困るの?」

事もなげな黒い天使に、みな揃って頭を抱えた。

「私が困ります……」

おずおずと切り出すのは当事者だ。

「私はリィの傍にいたいので……」
「王妃さんってば親鳥だからよ」

カラカラ笑うレティシアに、シェラはきついひと睨みを返す。
もちろんレティシアは気にしない。

「でも、ふたりがいるじゃない。シェラが困ってたら、助けてあげればいい」

とんでもないことを言い出したものである。
直後、弾けたようにレティシアが爆笑する。
いつも無表情のヴァンツアーですら、目を丸くしている。
シェラは顔を引きつらせて瞬きも忘れた様子だ。

「あれ? ぼく何か変なこと言った?」
「言ったことは変じゃないが、言った相手が変だった」

リィが冷静に評した。

「そう? だったらどっちかがシェラの恋人になったら? そうしたら、もう誰も何も言わないよね」

とてもいい案を思いついた、という風ににっこりと美貌の黒天使は笑った。
シェラは石化した。

「あ、あれ? さっきよりひどいよ、この反応」

シェラは目の前で元凶の天使に手を叩かれ、ようやくはっと我に返る。

「な、な、なな何て……お、おおお、おおそ……」

何て恐ろしいことを、と言いたいらしい。
可哀想に青ざめている。

「うーん……いい案だと思ったんだけどなあ……エディ、だめ?」
「おれに聞くな」

それもそうだ。

「じゃあレティー」
「じゃあヴァッツ」

黒天使からふられたせりふをそのまま黒髪の少年に返す。

「……訊かれているのはお前だろうが」
「俺はお前に聞いてる」

端正な容貌の少年は息をついた。

「俺はお前にとっても銀色にとっても虫除けか?」
「かなり見目麗しいけどな」

悪びれた様子もなく猫目の少年は、にいっと口を歪めた。
この少年はひとりになりたくなると、視線ばかり引きつけて人は寄せつけない少年の隣に行くことにしている。

「まあ、俺はともかく、お嬢ちゃんの虫除けは並みの男じゃだめだわな」
「なかなかお目にかからない美人さんだもんねえ」

いつの間に結託したのか、レティシアとルウは並んでいる。

「遊んでないで早く戻してやれよ」

リィも心なしか楽しそうだ。

「ところで、何でこうなっちゃったわけ?」

それはみんな知りたいことである。

「レティーが医学の実験で薬でも作ったんじゃって思ったんだけど……」
「違ったんだ?」
「ああ」

リィは、お手上げ、といった感じで本当に両手を上げた。

「さっきも言ったけどよ、嬢ちゃん女にしたって、俺にいいことなんかひとつもないぜ?」
「確かにねえ……君は?」

問われた黒髪の少年は首を捻る。

「なぜ俺に訊く?」
「捜査の基本は聞き込みだよ」

納得した面持ちで頷くと、少年は表情を動かさず口を開く。

「銀色が男だろうが女だろうが、さして違いはあるまい? 中身は同じだ」

納得したか仕立て屋、と相手を真っ直ぐ見つめた。

「それはつまり……どんな姿のシェラも好きってことだよね」

分かった分かった、と満足そうに微笑む。

「どうしてそういう解釈になるんですか?!」

泣き出しそうな声で、紅一点の男装の麗人が叫ぶ。

「その人の外見や身体的特徴に囚われないなんて、最大級の好意じゃない?」
「中身に惚れてるってことだよな」

ここでも黒天使と猫目の元・死神との息はぴったりだ。

「ああ、そういえば見事な彫金の櫛を貰ってたし。剣も交換してたな。信頼の証だ」

これにリィまで加わったのだから、たまったものではない。
シェラはいたたまれなくなって視線を逸らすと、不意に濃い青の瞳と目があった。
思わず顔を背けてしまった。

「まあ、否定はしないがな」

それを聞いて反射的に顔を上げる。

「……ヴァ……?!」
「否定はしない。肯定もしないがな」

黒と見紛うほどに深い藍色の瞳が、視線を合わせてくる。

「……っ!」

きつく唇を噛むと、シェラは全員に背を向け、一目散に駆け出した。

「シェラ!」

リィが呼び止めても振り返りもしない。

「怒っちゃったのかな……?」

気遣わしげな黒い天使は、後を追うか迷っているようだった。

「いんや。ありゃ怒ったっていうより、困ったって感じだな」

レティシアが冷静に分析する。

「困る? 何でだ?」
「そりゃあ──」

レティシアが何事か言おうとした横で、走り去る少女を視線で追いかけていた少年が立ち上がる。

「ヴァッツ?」

言葉を中断したレティシアが目を瞠って声をかける。

「目指せ一般市民が聞いて呆れる……」

嘆息しながら呟いた一言はいったい誰に向けられたものだったのか。
僅かに幼さを残した、しかし落ち着いた美貌の少年は音もなく駆け出していた。
他の三人が声をかける暇もなかった。
あっという間に姿が見えなくなる。

「……あのふたりが並んでる方が、よっぽど目立つと思わねえか?」

ばつが悪そうにこめかみをかく猫眼の少年に、天使ふたりが頷きを返したのはいうまでもない。




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