変身

そのころ、シェラを泣かせてしまった三人組は、とぼとぼと家路についていた。
林立する建物の奥に太陽が沈もうとしていて、世界が朱金に染まり始める。

「……なあルーファ。やっぱり、シェラが帰ってきたら、戻してやってくれよ」

金天使が傍らの青年に声をかける。

「お嬢ちゃんなら、今頃男には戻ってると思うぜ?」

頭の後ろで手を組んだレティシアが、事もなげに言った。

「何だと?! じゃあやっぱりお前の仕業か?!」

驚き呆れた声で、リィは猫眼の少年を見上げた。

「いやあ、まさかあんなにうまくいくとは……やっぱりおもしれえよなあ」

ケラケラ笑う少年を、天使ふたりは責める眼差しで見つめた。

「ちょっとレティー! 君のせいでシェラ泣いちゃったじゃない!」
「そう言いなさんなって。あんたももったいないって、言ってたじゃねえか」

黒天使を真ん中に、三人は横並びで歩いている。
通りの向こうから来る人々の視線は、いったい何事が起こったのか分からず、この異常に目立つ三人に釘付けだ。

「そりゃそうだけど……」
「あのふたりはなあ、ちょっときっかけが足りねえんだ。背中押してやりゃあ、すぐにくっつくさ」

罪悪感はかけらもないようである。
少年としては、珍しく慈善事業のつもりだったのか。
なんだかんだいっても、この少年も黒いのやら銀色やらが好きなのだ。
しかしおそらくは自分が楽しいから、つい手を出してしまうのだろうが。

「だからって泣かすことないだろう……」

力は恐ろしく強いが、女の涙には滅法弱いリィである。
男だと分かっていても、女の姿をしたシェラを泣かしたのは、彼の主義に反したのかもしれない。
そもそも、シェラが性転換したんじゃないか、と思うくらいには、本人も気付いていないだろうその気持ちを察していたのだ。
恋愛には一番疎いリィが、だ。
あたたかく見守ってやりたかったのかもしれない。

「分かってねえなあ……」

呆れたように肩をすくめ、嘆息した少年は、天使ふたりの前に立ちはだかった。

「泣いてる女口説くなんざ、最高のお膳立てじゃねえか」

美しい天使たちは、この男に遊ばれているシェラとヴァンツァーに同情を禁じえなかった。

「でも、ヴァンツァーがレティーのしたことに気付かないなんて、あるのかな?」

ふと気付いたことを、黒天使が口にした。

「あいつ知ってるぜ?」
「え?!」
「何だって?!」

再び歩き出したレティシアの背中に、ふたりの合唱が聞こえた。

「知っててシェラに飲ませたの?! 彼が?!」

黒天使が言えば、 「まさか!」 と、金天使も反論する。
知らぬは本人ばかりなり、といったところか。
ああまであからさまなヴァンツァーの態度に気付いていないのは当のシェラくらいのものである。
金黒天使や猫眼の少年の言葉を借りれば、過保護を絵に書いたような扱いなのだ。
具合が悪ければ血相変える──周囲には無表情にしか見えない。
ヴァンツァーはわざわざ車道側を歩こうとしているのに、銀色がびくびくして車道に飛び出すからまた血相を変える──周囲には、以下同文。
要するに、天使ふたりが言いたいのは、そんな心配性──恐ろしい言葉だ──の男が、怪しさ大爆発の飲み物など飲ませるわけがないのだということだ。

「いや、『何か』が入ってるのに気付いてたのは、間違いない。それがまさかあんな反応する薬だとは、さすがのあいつも分かんなかったろうけどな」

悪戯が成功したこどものように嬉しそうな声音だった。

「毒だったらどうするんだろうっ!」

震えた声で黒天使か言うと、レティシアはものすごく嫌そうな顔をして反論した。

「あんた、そりゃあ失礼ってもんだぜ?」
「毒かどうかはともかく、惚れ薬くらいは……」

決めたことには手段を厭わない相手のことは、何度か剣を交えたのだ、よく知っている。

「王妃さんまで……ったく」

一度言葉を切って、大きく息をつく。

「あいつ、まず自分で一口飲みやがったよ」

よっぽど信用ないらしい、と全然気にしてない様子で首を振る。
その言葉を気にしたのは、天使たちの方だった。

「…………おい」

恐ろしく苦々しい表情で、リィはレティシアを睨んだ。

「あん?」
「……ってことは、まさか」
「ヴァンツァーも、女の人になっちゃうの……?」

相棒の言葉を受けて、ルウが呟く。

「かもな」

短い返事に、天使たちは悲鳴を上げた。

「お前な! 黒すけが女になったら、男どもが目の色変えて飛びつくだろうが?!」

想像するだに恐ろしかった。
あの美貌に恵まれた肢体でもついてこようものなら、どんな女優や娼婦も裸足で逃げ出すに違いない。
男の今はあの近寄り難い雰囲気のおかげで、女生徒から熱烈な秋波を送られるに留まっているのだ。
たまに例の経済学の教授みたいな輩も出てくる。
もっと直接的な行動に出てもおかしくない、女に飢えた男子生徒──まず間違いなく生徒に留まらないはずだが──を惹きつけるような美女になったら……。

「軽くあしらわれるか、自分が殺されたとも気付かずにあの世行きだろうさ」

あ、殺しはまずい、と訂正した。
あくまで彼らの目標は『一般市民』なのである。

「『専門家』の腕を存分に発揮して、自分のいいようにこき使うとかな」

元凶はなんとも能天気だった。

「あの性格でそんなことするわけないでしょう?」
「飲むの止めるわけにいかねえだろ? そんなことしたら俺が薬入れたのバレバレじゃねえか!」

殺されちまう、と黒髪の少年よりも強いことを自覚している少年は、やはり楽しそうだ。
実力伯仲する相手と戦えることは、彼にとって何よりの喜びなのだ。

「まあ、あいつは嬢ちゃんよりも体でかいし、薬に耐性もあるだろうからな。今朝の時点で女になってなかったってことは、女にならないか……」

不意に言葉を区切り、にやり、と笑った。

「明日……」

気の抜けたようにリィが呟くと、相棒も肩をすくめた。

「ぼく、助けないからね」
「そう言うなって。それにあの薬、副作用でかなり強い眠気と頭痛が襲ってくるんだ。あいつそんな素振り見せなかっただろう?」

作った本人の言うことなのに、さして説得力がないのはどうしてだろうか。
ともかく、性格も殺傷能力もそのままのやたら艶やかな長身の美女など、精神衛生上お目にかかりたくなかった。
三人は明日のことはできるだけ考えないよう、今日の夕飯に何を食べるかの相談をしながら、仲良く帰路についたのである。
その様子を、もちろん街中の人間が振り返り、振り返り見ていた。


そんな事実が隠されていたとは露知らず、銀天使と元・死神は、健やかに眠っていた。
泣きつかれた疲労感と、年はともかく元の性別に戻った安堵のためにシェラは崩れ落ちた。
倒れこむ前にヴァンツァーが抱きとめ、天使はそのまま眠ってしまった。
寝室に運ぼうかと思ったヴァンツァーだったが、起こしてしまうのはしのびなかったため、そのままソファを背に支えることにした。
足音を立てず走り回れ、周囲の空気に気配を同化させることが非常に巧みな少年だ。
たかだか数歩の部屋まで運ぶのに懐中の眠り姫に振動なんぞを与えるわけはない。
彼が懸念する相手の起こし方とは、まったくそういうこととは違った意味合いのものだ。
要するに、また『気が変わった』ら困るのだ。
そんなことを考えながら規則的な寝息を立てる相手を抱きかかえているうちに、黒髪の少年にも睡魔が忍び寄ってきた。
眩暈にも似た強烈な眠気で、銀色が起きるまで起きていることはできそうになかった。
赤ん坊を抱いているのと同じ理屈だろうか。
体温の高いこどもなどを抱いていると眠くなることがある。
おそらくそういった類の現象だろう、とヴァンツァーは結論付けた。

「まったく、世話のかかる……」

言う低いささやきはひどく甘く、やさしくて、そんなことなど爪の先ほども思っていないことは明らかだった。
シェラを起こさないよう着ていたジャケットを脱ぐと、ふわりと長い銀髪を覆うようにかけてやった。
心地よいまどろみに身を任せ、ほとんど身長の変わらない銀色の少年が寝やすいように体勢を整えると、藍色の瞳をゆっくりと閉じたのである。

翌朝目覚めた銀色の少年が目にするのは、精悍な美貌の少年か、はたまた妖艶な魅力全開の美女か。

それは気がかりな夢から覚めての、お楽しみ──。




END.

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