夜半までの雨が嘘のような晴天。
ファロット一家プラスαは、連邦大学惑星最大級のテーマパークでの二日目を迎えていた。
「やった~。さすがソナタさん、晴れ女~」
「昼くらいまでは雨って言ってたのに、良かったね」
「うん。昨日も、何だかんだ言って雨降り出したの閉園近くだったし」
「日頃の行いだね」
「ね~」
にこにこと笑いあっているのは、眩しいほどの金髪美人と黒髪の美少女。
既にふたりの頭には、このテーマパークの主要キャラクターであるネズミの耳。
「……あつ……」
「何か文句あるわけ?」
「……いえ、何も」
「よし」
周囲より頭ひとつ分背の高い少年は、見上げてくる菫の瞳に諦めの色を返した。
銀色の頭には、白い猫耳。
その耳を眺めて、己の手に目を落とす。
青っぽい怪獣の手のような馬鹿デカい手袋は、彼の顔よりもずっと大きい。
指を曲げることすら出来ないようなそれは、ただでさえ気温の高い今日はもう恥ずかしさと相まって拷問だった。
気づかれないようにこっそり吐いたつもりのため息も気配に敏感な女王様に気取られてしまい、じろり、と睨まれた。
「言っておくけど、それはアリスが自分で選んだんだからね」
「あれは『選んだ』んじゃなくて、『強要された』って言うんだよ」
「何その言い草」
「スピッチの手袋とドナルポのシャツとどっちがいいか、って言われたら、まだこっちの方がマシだろうが」
いざとなったら取れるし、とは間違っても言えない。
言ったら、どんな無茶振りをされるか分からないのだから。
「耳が嫌だって言うから、そっちにしてあげたんでしょう?」
「そもそも、この二択しかないのがおかしいだろうが」
「三択だよ。手袋か、シャツか、両方か。ちゃんと三つ選択肢あげたじゃない」
「……それで妥協したと本気で思ってるところが、お前のすごいところだよ」
「ありがとう」
にっこり笑った顔は天使のような少年に、キニアンはがっくりと肩を落とした。
確かに、どんな言い訳をしようが最終的にこの手袋を選んだのは自分だ。
そこはいらん男のプライドとして、難癖つけられないところである。
「ふふ。ソナタもカノンも、楽しそうで良かった~」
にこにこ機嫌良さそうに笑っているのは、こちらもヴェールつきのネズミ耳をつけたシェラだ。
彼の目からすると、花丸元気印のソナタだけでなく、仏頂面のカノンも楽しそうに見えるらしい。
隣のヴァンツァーの頭には、黒いネズミ耳──ちなみに赤い水玉のリボンつき。
「やっぱり何だかんだ言って平日は空いてるし、今日は『ランド』の方に流れてるはずだし。私も子どもたちに負けないように遊び倒すぞ!」
よしっ、と気合を入れるシェラを、ヴァンツァーは蕩けるような笑顔で見つめていた。
そう。
ファロット一家プラスαは、平日から土日にかけて泊りがけでこのテーマパークへと遊びに来ていた。
カイン高校の創立記念日が木曜日だったため、金曜も休ませてしまったのである。
もちろん、
「──来るよね?」
のひと言で、キニアンの休みも決定した。
大学生であるライアンはわりと時間に都合をつけられるので、ふたつ返事で頷いたという話だ。
父と息子は嫌がったらしいが、ふたりともソナタとシェラのお願いには滅法弱い。
こちらも最終的には頷くのである。
そして木曜は朝から『ランド』へ行き、金銭面と体力面でしか活躍の場面のないヴァンツァーが猛ダッシュで新アトラクションの乗り場へ並び、小走りにやってきた家族プラスαと合流し、その後は歩いて乗って落ちて買って食べて歩いて乗って並んで乗って乗って遠心力を感じまくって歩いて歩いて食べて乗って乗って……を延々繰り返したのである。
そして、夜は昨年夏にオープンしたばかりの隣接ホテルのスイートで一泊し、本日はホテル宿泊者の特典である開園一時間前に『シー』へとやってきたのである。
ちなみに、本日は『シー』内部にある『ホテル・ミラコッタ』に泊まるのだ。
土日も泊まることが確定しており、チケットは四日間使えるマジック・パスポートである。
この話を持ち込まれたとき、さすがに懐が痛いと訴えたキニアンだったが、「うち株主だから。お金いらない」というカノンのひと言で四日間丸々女王様に付き従うことが確定した。
ライアンはこのテーマパークの大ファンであり、年間パスポートも持っているということで大はしゃぎだったらしい。
いずれにせよ、子どもたちが上機嫌ならシェラも上機嫌であり、シェラがにこにこ笑っていれば大満足のファロット一家なので、昨日からこの一家は非常に楽しい時間を過ごしていた。
キニアンも、何だかんだ言って手袋さえなければそれなりに楽しんではいるのだ。
「まずはゴンドラから~!」
「やっぱり朝と夜のゴンドラは格別だよね~」
「ね~」
ソナタとライアンは手を取り合ってヴェネツィアンゴンドラ乗り場へと向かった。
純粋に人の手で操縦するゴンドラは、意外と大人たちに人気がある。
三十分程度並ぶことならばザラである。
今日は開園前ということもあり、意気揚々と美人カップルはスキップして行った。
そんな妹たちを、『ふたりきりにしてなるものか!』とばかりに追いかけようとしたカノンはキニアンの腕を引いたわけだが、長身の少年はびくともしない。
「ちょっと!」
「昨日あれだけついて回れば十分だろう? 今日はふたりにしてやれよ」
「何言ってんの! 目ぇ離した隙にソナタが毒牙に──」
「掛かるかよ。平日で空いてるって言っても、人目はあるんだ」
そんな中で滅多な真似は出来ない、と言うキニアンに、カノンは頬を膨らませた。
そうして、グイッ、とキニアンの服の襟元を掴み、引き寄せながらキスをしたのだ。
「──っ?!」
反射的にカノンを押し返したキニアンは、思わず口許を手の甲で押さえた。
「なっ……おま、な……」
「人目があろうとなかろうと、やる気があれば出来るんだよ。分かった?」
そういう問題じゃないだろう、と余程叫びたくなったキニアンだ。
店舗と店舗の間の小道を抜けてゴンドラ乗り場へ向かうため、確かに人の姿はあまりない。
けれど、いつどこで誰に見られるか分からないではないか。
シェラたちだって追いかけて来ているかも知れないし、パークの従業員もいるかも知れない。
人にキスシーンを見られて喜ぶ趣味は、自分にはないのだ。
しかし、そんなキニアンの思考などお構いなしのカノンは、ふんっ、と鼻を鳴らすとスタスタ歩いて行ってしまった。
残されたキニアンは真っ赤な顔をしていたが、「あああああっ!!!!」という叫び声が聴こえてきて表情を引き締めた。
そして、慌てて声のした方へと向かったのである。
ゴンドラ乗り場へのアーチ状の階段を超えれば、悲壮感でいっぱいの顔をした少女。
「……何だ?」
カノンに訊ねれば、ゴンドラが強風のため一時運休となっているとのこと。
何がそんなに哀しいのか分からないキニアンだった。
風が治まれば再開するのだろうし、他にもアトラクションはある。
「……ゴンドラは、乙女のロマンなのよぅ……」
ふえぇぇっ、と涙目になったソナタは、ひしっとライアン泣きついて涙ながらに訴えた。
「だってね、だってね、ゴンドラは愛の逃避行なの! 身分違いの恋とか、敵対する家の子どもどうしとか劇場に棲む怪人と歌姫とか、ゴンドラがないと話が始まらないの!」
抱きついてきたソナタを軽く抱き返しながらぽんぽん背中を叩いてあやしていたライアンはものすごい眼でカノンに睨まれたが、気づかない様子でにっこりと笑った。
「じゃあ、今日は『愛の逃避行』じゃなくて、『ジェットコースター・ロマンス』にしようか」
アホらしい、という顔になるカノンだったが、ソナタは食いついた。
「──何それ」
「ジェットコースターみたいな、スリルと冒険に満ちた恋なんてどうだろう?」
「乗った!!」
「じゃあ、まずは『Center of the Mars』だね。プロミテウス火山を目指そう!」
「おー!!」
さっきまでの泣き顔が嘘のような晴れやかな笑顔。
まるで今日の空のような表情で、ソナタはライアンと腕を組んで前方に聳える火山へと向かった。
『女ってよく分からん』という顔になったキニアンは銀色の頭に目を落としたのだが、随分大人しいな、と思ったら今度はカノンが泣きそうな顔をしていて面食らった。
「……カノン?」
「……」
無言で歩き出したカノンにとりあえずついていくことにしたキニアンだったが、既にソナタたちの姿は見えない。
それでも同じ方向へ向かおうとしているらしいカノンが、しばらくしてぽつり、と呟いた。
「……アリス」
「何だ」
「アリス、……ぼくのこと、好き……?」
これには緑の目を真ん丸にしたキニアンだ。
よくよく考えてみれば、デートらしきものも何回かしたし、キスだってしたが、「付き合って下さい」とは言った覚えも言われた覚えもない。
だが、今更そんなことを口にするのも憚られる。
しかも、やはり人目が気になるところである。
「……まぁ、嫌いじゃないけど」
「──好きか、って訊いたの!!」
俯いたまま喋るのが珍しくてしげしげと銀の頭を眺めていたキニアンだったが、何だか子どもみたいに癇癪起こしてるな、と思っていたら思い切り睨まれた。
「──もういい! あっち行って!」
「は?」
「ついて来ないで! どっか行っちゃえ!!」
ぐいっ、と身体を押され、意味が分からず首を傾げる。
「何怒ってるんだ?」
「怒ってない! もう、あっち行ってよ!!」
「……」
面倒くさそうに嘆息したキニアンは、「そうかよ」と言って踵を返した。
振り返りもせずに行ってしまうキニアンに唇を噛み締めると、カノンはぐいっ、と目許を拭って反対方向へと歩き出したのだった。
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