World is Mine

「あ~、お腹いっぱーい」

おすすめセットを頼んだカノンは、デザートについてきたリングシューまできっちり完食し、テーブルの上に入園するときに配られるこのテーマパークの地図を広げた。

「次どこ行く?」
「どこでもいいよ」
「むかー。自分の意思とかないわけ?」
「……そこは突っ込むところか?」

泣いたり笑ったり怒ったり、人を散々振り回しておきながらまったくこの女王様は、とキニアンは内心こっそり思った。
どうせ自分が何か言ってもこの女王様の気分次第で覆されてしまうのであれば、最初から大人しくついて行った方が労力は少なくて済む。
頬杖をついてカノンが地図を眺めるのを見ていたキニアンだが、ふと持ち上げられた菫の瞳がじっとこちらを見つめてきたので、「何だ」と訊いた。

「……アリスの手って、綺麗だよね」
「手?」
「うん。父さんも指長くて綺麗なんだけど、アリスのも綺麗」

貸して、と言われ手を差し出せば、手のひらや手の甲に指先で触れながら興味深そうにとっくりと眺めている。
何が面白いのかまったくもって分からなかったが、玩具を手にした子どものようで可愛いといえば可愛い。

「手、ねぇ……まぁ、おかげで大抵の音は出せるけどな」
「──音?」
「幸い、突き指はしても骨折まではしたことないし。それでも父親にはこっ酷く怒られるけどな」

苦く笑う様子に、話が見えてこないカノンはせっつくようにして「どういうことだ」と訊ねた。

「え? だから、骨折すると指の形悪くなるし、最悪演奏に差し障りが」
「は?! 演奏って何?!」
「何、って……チェロだよ」
「チェロ?! アリス、チェロ弾くの?!」

おや、と思ったキニアンだ。

「言ってなかったか?」
「知らないよ! 何で言ってくれないの?!」

レストランの店内なので声量を抑えた大声という器用な真似をして見せているカノンだったが、その表情はかなり真剣に怒っている。
激怒している、というよりは寂しそうな表情をしていて、正直焦った。
また泣かれるのか、と気が気ではない。
男を泣かして喜ぶ趣味は持っていないのだから。

「え、あ、いや……別に言ってなくても、困ることとかないし」
「あるよ! ぼく聴きたいもん!!」
「え?」
「え、じゃない! もう! 何でもっと早く言ってくれないの?!」

信じらんない! と頬を膨らませて腕組みする様子に、キニアンは目をぱちくりさせた。

「……でも俺、別にプロじゃないし」
「関係ない」
「……そんなに音楽好きなのか?」
「好きだよ。でも、それとこれとは話が別」
「……」

全然カノンの言っていることが分からない。
別? 別って何だ? と首を捻っていると、カノンが「はぁ~あ~」とだらしなくテーブルに突っ伏した。

「……ぼくって、そんなに魅力ないのかなぁ……」

遠くを見るような瞳に、「待て待て待て」と言いたくなったキニアンである。

「……何でそうなる」
「やっぱり、アリスはぼくのことなんか好きじゃないんだなぁ……」

だから待て、と頭を抱えそうになる。

「アリスはさぁ……ぼくのこと、もっと知りたいな、とか思わない……?」

ちらり、と菫の瞳が上目遣いに見つめてきて、どきりとした。
この女王様は、自分が大層綺麗な顔立ちをしていて、人目を引くことをよく知っている。
どんな表情をすれば相手が自分の思った通りに動くのか、手に取るように分かっているのだ。
そして、こちらに大した経験がないこともよく分かった上で、わざわざ心臓が跳ねるようなことを言うのだ。

「え、っと……?」
「ぼくは知りたいよ。アリスの好きなこととか、好きなものとか。アリス、お菓子は苦手だけど、果物は好きだよね。特にオレンジとかグレープフルーツとか、柑橘系。数学は苦手だけど、語学と社会科は得意だし。本当は車よりバイクの方が好きなんでしょう? 今度から車じゃなくてバイクの後ろでもいいんだけど」
「危ないからダメだ……っていうか、お前よく見てるな」

思わず感心してしまったキニアンだったが、カノンはむすっとした顔になった。

「アリスが気にしなさすぎなの。ぼくが好きなものなんか、全然知らないでしょ」
「……い、苺、好きだよな」
「それから」
「……勉強は……お前、苦手なものなんかないだろ……?」
「で」
「……音楽、好きなんだったよな?」
「それさっき言ったばっかり」
「……」
「ほら。ぼくのことなんて、全然見てない」

もう、頭を下げてちいさくなることしか出来ない。
何か上手いこと言わないと、どんどん機嫌が悪くなるに違いない。
しかし、何も思い浮かばない。
カノンの好きなものなど、シェラさんと妹以外に何かあったか、と少しでも何か捻り出そうとするが、本当に何も浮かんで来ない。

「……──悪い」

結局、出てきたのはそのひと言で、カノンは盛大なため息を吐いた。

「いいよ、別に」
「お前のこと、気にかけてないとか、好きじゃないとか、そういうんじゃなくて」
「いいって。分かってるよ。男なんて大抵そんなものだから」

同じ男にそう言われてしまっては立つ瀬がない。
ひたすら恐縮していると、唐突にちいさな笑いが漏らされた。
顔を上げれば、カノンがくすくす笑っている。

「──なぁんてね」

つい先ほどまで頬を膨らませていたのに、今はぺろり、と舌を出して笑っている。

「冗談だよ。アリスは、ぼくのことちゃんと見てるよね」
「……え?」
「だって、アリスだけだもん。ぼくのこと、『女王様』だなんて言うの」
「……」
「結構上手く笑顔作ってるつもりだったんだけど、アリスにはバレちゃうんだよねぇ」
「……」
「何でかな?」

さぁ? と返したいところだが、曖昧に微笑むに止めた。
喉の渇きを覚えて、食事と一緒に購入したアイスコーヒーの残りに口をつける。

「──あぁ、これが『愛』ってやつかな?」

ぽん、と手を叩く様子に、キニアンはコーヒーを吹き出しそうになった。
激しくむせていると、「何やってんの、もぅ」と椅子から立ち上がったカノンが背中を摩ってくれた。
手振りで『大丈夫だ』と返したが、カノンは「ここ、笑うところじゃないんだけど」とまた膨れっ面になった。

「……いや、別に笑ったわけじゃ」
「思いっきり吹いたじゃない」
「いや、だからそれは」
「ふん、だ。やっぱりアリス、ぼくのことなんか」
「──好きでもないやつの我が儘赦せるほど、俺の心は広くない」

けほっ、とまだ気管が苦しくて咳払いをし、胸を叩きながらキニアンは言った。

「もう、お前いい加減それやめろよ」
「……それ、って何」
「だから、『ぼくなんか』っていうの」
「……」
「そうやって、俺のこと試さなくていい」
「……」
「俺はここにいるだろうが」

あー苦しい、と胸を摩っていたキニアンだったが、ふと見たカノンが真っ赤な顔をしていてぎょっとした。

「──……カノン?」

呼んでも返事がない。
とりあえずもう一度声をかけてみると、頬を染めつつ顔を顰めたカノンは、唇を尖らせてふいっ、と顔を背けた。
そうして、ぽつりと呟いた。

「……アリスのくせに、生意気だ」

何が『生意気』なのかよく分からなくて首を傾げたキニアンに、カノンは相変わらずの仏頂面で告げた。

「次、『Center of the Mars』乗って、メビテレーニアン・ハーバーで『ミシュカ』見るからね」

こっくりと頷いたキニアンに、「よし」と返してカノンは立ち上がった。
不思議そうに首を傾げてしげしげとカノンを眺めていたキニアンは、店を出たときに気づいて訊ねてみた。

「──あぁ。お前、照れてるのか?」

思い切り、脛を蹴られた。  




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