『Center of the Mars』を降りたカノンは、ぷくっと頬を膨らませていた。
「絶対可愛いって!」
「……いや、別に否定するつもりはないけど」
「だってさっき、『この子ちょー可愛いと思うんだよねー』って言ったら、『そうか?』って返事したもん」
「だから、それは俺の感覚では可愛くないだけで」
「あーほら! やっぱり可愛くないと思ってるんだー!!」
「……いや、だからさ」
ふんっ、とそっぽを向いてスタスタ歩くカノンの後ろを、キニアンは「参ったな」と頭を掻きながら付き従うようにして歩く。
完全に、『彼女のご機嫌取りに失敗した情けない彼氏の図』である。
「いいもん。シェラは可愛いって言ってたもん」
「……」
そんなところまで似てるのかよ、とこっそり内心で思ったキニアンだ。
カノンの不機嫌の原因となっている『可愛い子』というのは、『Center of the Mars』の中にいる巨大ムカデというか、怪獣というか、アトラクションの終わり付近で待ち構えている怪物のことだ。
薄いピンク色で何本もの脚がワシャワシャ動いているような昆虫っぽい容姿をしているそれのことを、カノンは大層気に入っているらしいのだ。
趣味は人それぞれなのでどうこう言うつもりはないキニアンだったが、この女王様は先ほどから非常にご機嫌ナナメなのだ。
嘆息したキニアンは、少し早足になってカノンに追いつくと、膨れっ面を覗き込んだ。
「カノン。あんまり膨れてると、ブスになるぞ」
「────……」
さすが、究極のKY。
まさかこのタイミングでその台詞を口にするとは。
ものは言いよう。
たとえば、「可愛い顔が台無しだぞ」とか、「膨れても可愛いだけだぞ」とか、そういうヴァンツァー辺りが好んで使いそうな台詞を用いたとしたら、カノンは額に青筋立てて拳を握ることもなかっただろう。
『可愛い』という単語と『ブス』という単語では、同じような内容のことを言っているのだとしても与える印象が大違いなのだ。
立ち止まってふるふる震えていたカノンは、きっ、と顔を上げると声を大にして叫んだ。
「──アリスなんか、メビテレーニアン・ハーバーで溺れちゃえ!!」
「はぁ?」
訳の分からないことを声高に言い放ってズンズン歩いて行ってしまったカノンの背中に、キニアンは本日何度目になるかのため息を吐いたのだった。
カノンの銀髪は非常に目立つ。
しかも、微笑めば天使と評判の美貌なので、ものすごい人目を引く。
しかめっ面で歩いていたとしても、人々の注目を集めることには変わりない。
だから、たとえはぐれてしまったとしても見つけるのは容易い。
メビテレーニアン・ハーバーでこれから催される昼間の水上ショー『レジェンド・オブ・ミシュカ』を見るために、鑑賞エリアに赴いている。
中央鑑賞エリアにいるかと思ったが、そうではなくその少し裏手にある石造りの橋の上にしたらしい。
ちらちらとカノンの後姿を見ている人々──主に男性──にむかっとしながら、キニアンは橋に腕を置き、その上に顎を乗せているカノンの横に立った。
「……飛び込みに来たの?」
「飛び込むかよ」
「……つまんない男」
ぼそっと呟かれた台詞に、さすがにむっとしたキニアンだ。
「面白みのない男で悪かったな」
「別に。最初から分かってるし」
「だったら文句言うなよ」
「……煩いな」
「お前なぁ」
険悪な雰囲気になりそうになったところで、ショーの開演の音楽が流れた。
フロートと呼ばれる大きな乗り物に精霊やパークのキャラクターたちが乗って、『ミシュカ』の伝説を物語るのである。
まずは、ジェットスキーでのアクション。
「──うっわぁ、ちょーかっこいい!!」
今の今までご機嫌ナナメを通り越して真っ逆さまだったというのに、カノンは頬を紅潮させてアクションに見入っている。
「んもぅ、何度見ても興奮する!!」
言葉通り興奮しっ放しのカノンの横顔に嘆息し、キニアンも水上ショーに目を遣った。
人間に荒らされた精霊たちの世界に繋がる門を開くために観客を含め皆で力を合わせるというのが、このショーのあらすじである。
ショーの半ばからダンサーたちが中央鑑賞エリアでダンスを披露する頃には、観客たちの盛り上がりも最高潮に達する。
精霊たちの世界へ続く『ミシュカの門』が開かれると、様々な空想の生き物のフロートが登場する。
「ドラゴン・マスターちょーかっこいい!!」
巨大な竜を操る長い黒髪の魔法使いのような男のことを言っているらしいが、今日は朝からやれ誰それがかっこいいの、あれが可愛いの、という話しか聞いていない気がする。
若干面白くないものを感じながらショーを見ていたキニアンだったが、袖を引かれて隣を見る。
「ねぇ、ねぇ。あのジェットスキーさ、ジャスミンとケリーが乗ってたらかっこいいと思わない?!」
大興奮の面持ちでそんなことを訊いてくる女王様に、キニアンは「あぁ、まぁ」と返した。
「反応わるーい」
「っていうか、あの人たちが乗ってたら、そこだけ異様なテクニック見せてそうで」
「あぁ、それ分かる! ジャスミンなんか、『クインビーの方が小回りが利く!』とか言って怒ってそう!!」
「でも、たぶん誰より速いんだろうな」
「あ~ん、もぅ、絶対だよー。かっこいいなぁ、真っ赤なジェットスキーに乗ってるジャスミン!」
ぽぉ、っと頬を染めるカノンに、キニアンはやはり面白くないものを感じていた。
──俺だってピアノくらい弾けるし、チェロだって……歌はあんまり得意じゃないけど、弾き語りだってやろうと思えば出来るんだ。車もバイクも運転出来るんだから、ジェットスキーだって免許さえ取れば……って、まぁ、あの人たちの速さに追いつくのは無理だけどさ……っていうか、大体何だよ女相手にかっこいいとかさ……。
と、無表情に近い仏頂面の中でキニアンが考えていると、カノンが不思議そうに首を傾げた。
「アリスがブスになってる」
つんつん、と頬を突付けば、キニアンは器用に片眉を持ち上げた。
「何怒ってるの?」
「……怒ってない」
「嘘だぁ。だって三割増で仏頂面だよ?」
「……煩いな。元からだよ」
「だから、三割増」
「いいだろ、別に」
「やだよ。アリス、せっかく顔は綺麗なのにさ」
「……」
顔かよ、と思ったキニアンに、カノンはにっこり笑って手を差し出した。
「……何だよ」
「次。『ドクロの魔宮』ね」
「それはいいけど」
「うん。じゃあ行こう」
頷くと、カノンはさっさとキニアンの手を引いて歩き出した。
されるがままになっているが、さっきまで怒ってたんじゃないのかよ、と困惑気味のキニアンだった。
本当に、この女王様は何を考えているのかよく分からない。
一緒にいるとひどく疲れることもあるのだが、たとえば他の男や女と一緒にいるところを想像すると腹が立つのだから仕方ない。
どうかすると、話題にヴァンツァーのことが出てくるだけでもイラッとすることのあるキニアンなのである。
やはり、カノンはファザコンだと思うのだ。
「あー、アー君とお兄ちゃんだ~!!」
と、そのとき前方から大きな声が聴こえてきて、そちらに目を遣ればブンブン手を振っている金髪美人。
彼もその美貌と長身でもって非常に目立つ。
隣には人形のように綺麗な少女が一緒なのだから余計だ。
更にその背後には、銀髪の美女──外見だ──とネズミの耳が意外と似合っている黒髪の美丈夫。
この四人組の周りだけ、周囲から浮き上がって見える。
「……アー君……?」
キニアンが首を傾げると、ぺいっ、とばかりに手を離したカノンは家族の元へ向かった。
「みんな観てたんだ」
「うん。カノンたちはどこで観てたの?」
「あっち」
「席空いてなかった?」
「ううん。あそこが良かったの。こっちより少し高い場所だから全体見えるし」
「そっか」
「うん」
数時間ぶりの妹との再会を喜んでいるカノンをゆっくり追いかけてきたキニアンに、ライアンは言った。
「アー君、お兄ちゃんと手ぇ繋いでたよね~」
「……はぁ。あの、アー君って」
「だって、名前呼ばれるの嫌なんでしょう? でも、キニアン、って何か他人行儀だしさー」
「ライアンは他人でしょ! それから、手ぇ繋いでたんじゃなくて、ぼくがアリスを引っ張ってたの!」
「あ、お兄ちゃん、さては恥ずかしがりだな~?」
「ちがーうっ!!」
「あはは、可愛い可愛い」
よしよし、と頭を撫でてやると、カノンは『ガウゥゥッ』とばかりに眉を顰めたが、ライアンの手を払い退けようとはしなかった。
その様子をじっと見ているキニアンに、シェラが「ねぇ、ねぇ」と話し掛けた。
「はい?」
なぜかシェラに対しては非常ににこやかな表情を浮かべるキニアンは、今も微笑んで返事をした。
「あのね、私も、『アー君』って呼んでもいい?」
身長差ゆえか上目遣いにおねだりしてくる元祖・天使に、キニアンは苦笑して頷いた。
「……構いませんけど」
「やった。私もね、『キニアン』って呼ぶの、他人行儀だなぁ、って思ってたの」
「そうですか」
ふふっ、と頬を染める様子がカノンとよく似ていて、キニアンは『あいつも、笑ってれば可愛いのになぁ』と思った。
「あ、そうだ。アー君にプレゼントがあるんだ」
「え?」
ここの代金だって払ってないのに、と焦ったキニアンに向かってシェラはヴァンツァーに持たせていた荷物の中からそれを取り出した。
「いきなり耳はハードル高いから、まずはこれからね?」
「……」
いやいやシェラさんシェラさん、と頭を抱えたくなったキニアンである。
確かに、カノンやシェラがしているようなカチューシャ型の耳をつけるのは抵抗があるが、全体像はちいさいとはいえパッチン留めの耳をつけるのだって勘弁してもらいたい。
「ほらほら。これね、手袋と同じスピッチなの」
「……」
「手袋だと、手ぇ繋ぐのに邪魔でしょう? だからね、初心者さんにもやさしくパッチンにしてみたの。あ、別に両方つけてもいいんだけどね。でも、手ぇ繋ぎたいでしょう?」
嬉々としてそれを差し出してくるものだから、キニアンは思わず受け取ってしまった。
受け取ってから、ヴァンツァーを見たキニアンである。
助けを求めるような視線に気づいているのかいないのか、こちらは元祖・KYであるヴァンツァーは微笑すら浮かべて教えてやった。
「まぁ、慣れだ」
「……」
まったくありがたくない言葉に、キニアンは内心で『どうすんだよ、これ』と深く嘆いた。
もらったからにはつけないわけにいかないし、かといって人前でつけるのは避けたいし、と苦悩するキニアンに、いつの間にか背後に立っていたライアンが言った。
「あ、いいなー。おれがつけてあげる」
「え、あ、ちょっ」
「はいはい、遠慮しなーい。はい、パッチン、と」
何たる早業。
ものの二、三秒でキニアンの頭にはスピッチの耳が。
「うん。可愛い可愛い」
「……」
絶望的な顔になって固まっているキニアンに、ライアンもソナタも、シェラまでもが喜んで手を叩いている。
念のため、と思いカノンに目を向ければ、にっこりと微笑んだ天使。
──あれ……?
「良かったね。似合ってるよ」
「……」
何も言い返せず黙っていると、カノンはソナタたちと話し始めた。
次にどこへ行くのかを訊いているようだが、「じゃあね~」と手を振って四人が行ってしまったときには少し驚いた。
絶対に、これからは一緒に回るものだと思ったからだ。
「……いいのか?」
「何が?」
「だから……皆と、一緒じゃなくて」
妹の後を付回さないで、と言わなかっただけ偉い。
そんなキニアンに、カノンは頷いた。
「うん。皆これから、軽くお茶して『ビッグバンド』観に行くんだって。ぼく、ラストの観たいから」
「ふぅん」
別にいつ見ても同じなんじゃないか、と思ったキニアンだったが、カノンがいいと言うのだからそれでいい。
「あ、アリス」
「うん?」
「夕飯、ちょっと早いけど五時から『マザラン』予約したんだって」
「あぁ、分かった。……でも、本当にちょっと早いな」
「うん。ぼくが『ビッグバンド』のラスト観たいの知ってるから。終わってからだと、夜の水上ショーが観られないし、八時半からにすると花火が見られないから」
「……色々あるんだな」
「うん。まぁ、あと二日あるから焦らなくてもいいんだけどさ」
そんなことを話しながら、『ドクロの魔宮』へ向かったふたり。
アトラクションの終わり付近で大岩が転がってきたときは、ぶつからないことは分かっているというのに反射的に首を引っ込めてしまう人もいるようだ。
その大岩が転がってくるところが撮影スポットとなっているので、出口でそれを販売もしている。
「うっわー、アリスすーごいつまんなさそうな顔!」
「……煩いなぁ」
「だってさぁ、もっとこう、弾けても良くない? ちょー無表情だよこれ」
「いいだろ、別に」
「これ買おう、っと」
「はぁ?」
「記念、記念。ぼく写真映りいいから、ほら、ちょー可愛い」
「お前の場合、写真映りじゃなくて元がいいんだろう」
「……」
売店で財布を出していたカノンが、目を丸くして見上げてきたので、キニアンは「何だよ」と訊いた。
「……アリスってさ、天然だよね」
「は? 何だそれ」
「ちょっとびっくりするよ。父さんは狙ってるからいいんだけどさ」
「だから、何だって」
「何だかなぁ……それくらいのこと言えるんだったら、もうちょっとバランス取ってくれてもいいと思うんだけどなぁ」
大袈裟に嘆くが、カノンの言っていることがまったく分からないキニアンは不思議そうな顔をしている。
外へ出たふたりは、次はどこへ行くか、という話になった。
「ちょっと休憩する?」
「あぁ、構わないけど」
「次『アラビアン』な気分なんだよね~。『マーメイド・ラグーン』の方から回って、『カリプソキッチン』行こうか」
「お任せしますよ、女王様」
「うむ。着いてくるが良い」
それらしく演じてみせるカノンにちいさく吹き出すと、キニアンは白い手を取って歩き出した。
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