『ストーミー・ライダー』から降りたカノンは、やはり楽しそうに笑っていた。
「やっぱりあの『よし』っていうのが好きだなぁ」
「あぁ、管制塔の司令官が『無線を切ったら承知しませんよ』って言い終わる前に、キャプテン・デイヴィスが無線切っちゃうとこだろ?」
「そうそう! 『よし』じゃないよ、怒られるよ! ってツッコミたくなる」
あはは、と笑っているカノンは、そういえば、と呟いた。
「あの司令官、ナシアスっぽかったなぁ……じゃあデイヴィスはバルロか……ぷっ」
ちいさく吹き出す様子に、キニアンは首を傾げた。
知らない名前だ。
それに気づいたのだろう、カノンが「シェラたちの友達の話」と説明した。
ふぅん、と相槌を打ったキニアン。
「ナシアスはぁ、男の人なんだけどすぅごい美人でやさしい人。だけど、怒らせると『二度と逆らいません』って誓いたくなるくらい怖い。にっこり笑って笑顔で毒吐くタイプだね」
「ふぅん」
お前と一緒じゃん、とは賢明にも言わなかったキニアンである。
「バルロはぁ、もーのすっごい男前で、遊んでるんだけどチャラく見えないかっこいい人。声もちょー良くて、あの声で名前呼ばれると、ゴロゴロ~って懐きたくなるんだよねぇ」
「……ふぅん」
「偉い人なのに、ナシアスには頭上がらないところが可愛いの」
「……へぇ」
きゃっきゃとはしゃいでいるカノンとは対照的に、キニアンはどんどん渋面になっていく。
もちろん、それに気づかないカノンではない。
どうしたの? と声をかけるが、別に、と返されてしまった。
カノンはちょっと眉を顰めた。
「アリスさ、嘘吐けないんだから、隠し事とかしようと思わない方がいいよ」
「別に何も隠してない」
「だからそれが嘘だって。ちょー不機嫌な顔してるもん」
「何でもない」
「アリスの場合、口に出さなくても顔と態度に出るの。馬鹿正直なんだから」
「どうせ、お前と違って馬鹿だよ」
「あのさぁ。何なの? ぼく何かした?」
「だから何でもないって言ってるだろう?」
『冒険と空想の海』で睨み合いを始めてしまった高校生カップル。
キニアンは、端正ながらきつめの顔立ちにその長身もあって、表情が険しくなると近寄りがたい雰囲気を醸し出す。
しかし、そこはシェラとソナタ以外には天下無敵の女王様。
腕組みをして平然と言い放った。
「何、もしかして、ぼくが他の男の話したから妬いてるの?」
「……」
「妬いてるなら妬いてるって言ったら?」
「別に……」
「あぁ、やっぱり妬いてるんだ」
「だ……別に、妬いてない」
「顔に出るって言ってるじゃん」
「……」
半ば反射的に頬の辺りを摩ったキニアン。
それを見て、カノンは思わず、といった感じで吹き出した。
「ほら、態度にも出た。アリス、ほんと嘘吐けないよねぇ」
「……」
「──まぁ、そこがいいとこなんだけどさ」
「え……?」
「ラストの回の『ビッグ・バンド』は人気あるから、どれくらい人が並んでるか見に行くよ」
「あぁ……うん」
何でもなかったように歩き出す女王様についていくキニアン。
隣に並べば、カノンが顔を向けてきたので首を傾げた。
何も言わずじっと見つめてくるので、やはりよく分からなくて「何だ?」と訊ねた。
カノンは大袈裟なため息を吐いた。
「アリスって、顔は綺麗なのに残念なくらい典型的な女の子にモテない男のパターンだよね。父さんと一緒」
「……何だそれ」
「分からないならいい」
ふいっ、と顔を背けてスタスタ歩いて行ってしまおうとするカノン。
キニアンは、「ちょっと待て」とカノンの手を引いた。
「言いたいことあるなら言えって。俺、お前と違って頭良くないんだよ」
「なくなったからいい」
「はぁ?」
よく分からなくて眉を上げたキニアンだったが、「行くよ」とカノンが繋いだ手を引っ張るようにして歩き出したのでそのままついていくことにした。
もう陽が傾いてきた。
一日よく歩いてるよなぁ、と思い、キニアンは今更ながらカノンに訊ねた。
「疲れてないか?」
運動部の自分と違い、カノンは帰宅部だ。
運動神経の良さが並外れていることは知っているが、それと疲労はまた別の話だ。
「疲れてるって言ったら、お姫様抱っこしてくれるの?」
「──は?!」
「冗談だよ」
「……真顔で冗談言うなよ」
「アリス細いもんね。無理だよね」
若干、ひ弱扱いされた気がしてむっとする。
それでも、出来ることと出来ないことがあるのは確かだ。
「まぁ……今のところ六十キロちょいが限度だよなぁ……」
「余裕じゃん」
「は?」
緑の目を真ん丸にしたキニアンだ。
「お前、六十ないの?」
「ないよ」
「だって、身長百七十以上あるだろう?」
「うん。七十二」
「それで、体重六十ないの?」
「ないってば」
「……さすがに、五十はあるよな……?」
恐々と訊いたキニアンに、カノンは『ありえない』という視線を向けた。
「ぼくが女の子だったら、アリス殴られてるよ?」
「いや、だって……お前細すぎ……」
「細くはないよ。ちゃんと鍛えてるし」
まぁ、いくら鍛えても割れてくれない腹筋は若干コンプレックスだったりするわけだが。
そんなところはシェラに似たのだなぁ、と嬉しいやら哀しいやら。
やはり、男としては鋼のように鍛えられていながら、鞭のようにしなやかな肉体というものに憧れはあるのだ──あの父のように。
「アリスこそ、身長のわりに細いんだから。ライアンと父さんにでも、鍛え方訊いたら?」
「これでも、筋力は結構あるんだぜ?」
「そうなの?」
「俺のバイク三百キロ近いし。乗りやすいけど、たまに暴れるからな」
「ふぅん。今度ぼくも乗せて」
「ダメ」
「何で」
「何でも」
「──ケチ」
ぷくっと頬を膨らませるカノンだったが、ブロードウェイ・シアターが視界に入る場所まで来たところで「あっ」と声を上げた。
「ゴンドラ再開してる!」
「あぁ、本当だ」
「乗ろう」
「え」
「嫌なの?」
「別に嫌じゃないけど」
「じゃあ何?」
「……何でもないです」
「よし」
シアターにもさして人が並んでいないことを確認すると、ふたりはそのままゴンドラ乗り場へと向かった。
強風により休止していたものがようやく再開されたからか、長蛇の列だ。
三十分程度待つようである。
「……ゴンドラが、今日一番の待ち時間ってのがすごいよな」
「軒並み五分待ちだったもんね」
「待つか?」
「うん」
「好きなのか?」
「ゴンドラ? うん。こういうゆっくり、のんびり出来るの好き」
「ふぅん」
「ゴンドリエのお兄さんの歌も楽しみ」
「……ふぅん」
「あ、また不貞腐れた」
ちいさく笑うカノンから、キニアンは顔を逸らした。
繋いでいた手を離し、今度は軽く腰に手を添えるようにする。
「……狭いから」
「うん。そういうことにしておいてあげる」
「……」
にこにこ笑っているカノンをやはり直視出来ず、顔を背けたままのキニアン。
そんな高校生カップルの様子を、少し離れた橋の上から眺めている四つの影。
「わぁお、キニアンやるぅ~」
「お兄ちゃん、嬉しそうだなぁ」
「何か、こう、遠くからそっと見守っていたい感じだよね。ふたりとも、すごく可愛い」
ふふっ、と微笑んでいるシェラの腰には、当然のようにヴァンツァーの手がある。
シェラはそんな男の横顔を見上げた。
「アー君は可愛いのに、お前はどうしてそう、ふてぶてしいんだろうな」
「お前に鍛えられたんだよ、鈍感Queen」
「……何だそれ。お前、今すっごい私のこと馬鹿にしてるだろう」
「まさか」
「その『心外だ』って顔がむかつく」
「だから、お前の『むかつく』は『好き』って意味だろう?」
「違うって言ってるだろうが、この捏造King!」
「うん。そうでもしないと、お前は気づかないからな」
「……うわ、認めた……認めたぞ、こいつ」
馬鹿だこいつ、と顔に書いているシェラとどこか楽しそうなヴァンツァーに、女どうしに見えても唯一の男女カップルであるソナタとライアンは生温かく見守る視線を送ったのである。
「Arrivederci!」
「Arrivederci~」
別れの挨拶をし、ゴンドラを降りる。
陽気なゴンドリエたちとのひと時に、カノンは大満足の表情だった。
途中、橋の上にいるシェラたちにカノンがゴンドリエたちが言うところの『Ciaoスポット』で「Ciao~!」と挨拶をすると、異様なまでの美形集団にゴンドラが一瞬シン、と静まり返り。
「……いやぁ、わたし、三年間ここでイタリア人やってますけど、後ろの相方がゴンドラ漕ぐのを忘れたのは初めて見ました。危うく漂流するところでしたねぇ」
とのゴンドリエの言葉に笑いが起こり、願い事が叶うと言われている橋の下を通るときはそのゴンドリエの歌声に耳を澄ませた。
橋の音響効果もあるが、よく伸びる声で、カノンは願い事をする頭の片隅で「これは叶いそうかも」とこっそり思っていた。
ゴンドラを降りたふたりは、夕飯のために橋の上で待っていた他の四人と落ち合った。
そして、コース料理に舌鼓を打ち、その席でシェラがこんなことを言い出した。
「ねぇ、カノン。さっきソナタと話してたんだけど、花火見終わったら三人でお買い物しない?」
「三人で?」
「うん。いい加減、ヴァンツァーの顔見てるの飽きたから。可愛い顔が見たいの」
「その間、父さんたち何してるの?」
首を傾げると、何でもよく食べるが、その食べ方は非常に丁寧で綺麗なライアンがこう言った。
「あ、おれはお酒飲みたいから。コロンビア号でパパさんと飲んで来ようかな、って」
「──父さんと?」
いつの間にライアンと打ち解けたのか、と不思議そうな顔で父を見るカノン。
嫌がっている素振りがないのが、いっそ恐ろしい。
もちろんアー君も一緒ね、とライアンが言えばキニアンから待ったがかかった。
「……俺、未成年」
「平気、平気。ここ夢の国」
「そういう問題じゃ」
「女の子には女の子たちのお話があるんだから、邪魔しちゃダメだよ~」
「……」
もはやどこから突っ込んでいいのか。
この面子の中で女はソナタひとりだけだ。
いくらシェラの見た目が清楚で可憐な美少女だろうと、カノンが女王様だろうと、性別は男なのだ。
「もちろん、アー君と行きたい場所がある、っていうならそっちを優先して構わないけど」
そう言って微笑むシェラに、カノンは首を振った。
「シェラたちと行く。そういえば、今日全然一緒にいなかったもんね」
「じゃあ、決まりだね」
嬉しそうに頬を染めるシェラに、カノンも微笑みを返した。
ラストの回の『ビッグ・バンド』は、初回以上の興奮をカノンにもたらした。
まず、シンガーの声の伸びが違った。
最終回ということもあるのだろうが、皆が皆『やりきるぜ!』という意欲に燃えていた。
特にカノンが大興奮だったのが、タップダンサーが舞台袖からバック転で登場し、最後に高い跳躍でのバック宙を決めたときだ。
「──かぁっこいい~~~~~っ!!!!」
きゃあぁぁぁっ、と女子高生のようにはしゃいでいるカノンを見て、キニアンはちいさく笑った。
そりゃあ、『俺には言ってくれないくせに』という思いは確かにあるのだが、きらきらした笑顔を見せるカノンは、やはり可愛いと思うのだ。
──何でだろ。ヴァンツァーさんと、全然似てないんだよなぁ……。
シェラ辺りに訊けば、「可愛げの違いです」と答えてくれるに違いない。
『All of Me』では舞台に跪いて歌い上げるシンガーにうっとりとした表情を向け、ドラムを叩いてタップを踊っていたネズミがフィナーレでこれまた跪いて恋人からのキスを乞う場面では「さすがスーパースター、分かってるなぁ!」と手を叩いて喜んでいた。
会場中が熱狂の渦の中で幕が降り、退場を促される。
ぴょんぴょん跳ねてまだ興奮冷めやらぬ調子のカノンは、キニアンの手を取って言った。
「ね、ね、アリス」
「うん?」
明らかにねだる視線のカノンに、キニアンは既に白旗を揚げながら内容を訊ねた。
「今度、ぼくにアリスのチェロ聴かせて?」
これには目を瞠ったキニアンである。
「別にいいけど……本当に、期待はずれかも知れないぞ?」
「リクエストしてもいい?」
「あぁ、うん」
何だ? と訊けば、はにかむように笑ったカノンはこう言った。
────『愛の挨拶』、と。
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