World is Mine

夜のショーが終わり、花火を見終わると、ファロット一家プラスαは当初の予定通りふた組に分かれた。

「うーっそー!!」

閉園間際。
ファロット家のように泊りがけで遊びに来ている人はともかく、早く買い物をして帰らねば、と先を急ぐ客が多かったが、それでもソナタの上げた素っ頓狂な声に振り返る人もいた。
シェラが嗜めるが、その顔は苦笑している。

「何であの『海底二万五千マイル』でキスしないの?! ありえないでしょ、それ」
「言ってやって」

お菓子の入れ物を見て、「あ、この箱可愛い」と呟いてはいるものの、カノンの表情はあまり芳しくない。
遊び疲れたのとはまた別の、哀愁すら漂う表情をしている。
なまじ類稀な美貌の主なだけに、憂いを帯びたその表情は儚げでありながらもどこか人目を惹く艶がある。
しかし、彼は次の瞬間はっとしてソナタに視線を向けた。

「……ライアンとしたの?」
「うん、した。まぁ、私からしたんだけど。──シェラたちもしたよね?」
「──ぅえぁっ?!」

声をひっくり返らせて、手にした缶入りクッキーを取り落としそうになっていることでバレバレのシェラは置いておくとして。
カノンは軽くため息を吐いたものの、もう妹たちのことを煩く言う気はなくしていた──だって、正直羨ましい。

「ひと組ずつ乗れたら、するのが基本でしょ」
「ほんと、言ってやって」
「……アー君は、真面目な子だから」

シェラがさりげなくフォローらしきものを入れるが、効果がないことは目に見えている。
カノンはシェラに対してすら、ほんのちょっぴり恨めしげな視線を向けた。

「ぼくがだよ? ぼくが、お願いしてるのに、しないってありえなくない?」
「う~ん……まぁ、高校生の男の子なんて、シャイでかっこつけだから……」
「絶対父さん違ったもん」
「……あれを参考にしちゃダメだよ──っていうか絶対しないで」

頭を抱えるシェラもそっちのけ、カノンは「皆いいなぁ……」と呟いた。

「アリス、すごいやきもち妬くくせに、キスもしてくれないんだもん。っていうか、言わないと手も繋がないし……」
「へぇ、キニアンって妬くんだ」
「アー君、ただの鈍感じゃなかったんだね」
「……シェラに言われたくはないと思うけどね」

ソナタの引き攣った笑みに、シェラは首を傾げた。

「妬くよ。ちょー妬く。ぼくが他の男の人の話するだけで機嫌悪くなるし」
「「うんうん」」
「声掛けられたりすると、割って入ってくるし」
「「それで、それで?」」

同じ顔をした母子が、同じように頷いて先を促す。

「そうするとちょっと強引になるから……もう、ぼくわざと他の男の話しようかな」

はあぁぁぁ、と深くため息を吐く愛息子に、シェラはくすくすと笑った。
なに? とカノンが訊ねれば、シェラは「どこかで聞いたことのある話だなぁ、と思って」と頬を掻いた。

「似てるもん。アリスと父さん」
「カノンって、意外と隠れファザコンだよね」
「ファザコンじゃないよ。マザコンでシスコンだけど」
「いやいや、自覚ないだけだよ」
「だって父さんってば、顔と身体と仕事してるときはかっこいいと思うけど、ヘタレわんこじゃん」

呟くカノンに、ソナタはおろかシェラまで吹き出した。
可愛い顔をきゅっと顰めたカノンは、「何その反応」と問いただした。

「キニアンも犬属性じゃん」
「顔、かっこいいよ。背も高いし」

ソナタとシェラが言えば、カノンは「空気読めないもん」と反論した。
これにも大笑いした母娘である。

「パパなんてあえて読まないから」
「そうしないと私が気づかないから、とかいう失礼極まりない男だぞ」
「いや、それは事実だから」
「──そ、そんなことないもんっ! ちゃんと分かってるもんっ!!」

一生懸命反論しようとしているシェラの頭を撫でてやりながら、ソナタは『夢の国』で悲壮感漂う顔を隠そうともしない双子の兄に視線を向けた。
何だかんだいって、カノンはキニアンのことが好きなのだ。
自分たち女性陣──だいぶ語弊がある──に言えることだが、揃いも揃って極度の面食いなのだから。
そして、お姫様扱いが大好きで、犬属性の男を引き当てる確率の高いこと、高いこと。
最近ようやく女王様の自覚が出てきた兄に、ソナタはにっこり笑って言ってやった。

「じゃあ、カノン──襲っちゃえ♪」

妹の言葉に、さすがのカノンも目を丸くした。

「キセイジジツってやつよ。これで男は黙り込むわ」
「……」

何だかとんでもない言葉を『夢の国』で、楽しそうに口にする紅一点の少女を見て、シェラとカノンは目を見合わせた。
そうして、口を揃えた。

「「──そうしようか」」

待て待てここは『夢の国』、とか、いやいやここはお土産屋さんお客さんまだいっぱい、とか、突っ込んでくれるような人間がいないのがファロット一家の良いところ。
シェラはバッグの中からカードキーを取り出した。

「これ、部屋のキーね。今日は三部屋取ってあるから」
「……シェラさん、やる気満々じゃないですか」
「やだぁ、違うよ。『ランド』はともかく、『シー』は部屋から見える夜景が綺麗だし、そういうロマンティックなひと時は恋人と過ごして欲しいな、っていう親心だよぉ」

そういうのを『やる気満々』って言うんですよシェラさん、と双子は思ったが口にはしなかった。
そして、ふたりとも部屋のキーを受け取ったのである。

「「……ツインですよね?」」
「うん。大丈夫だよ、ベッド大きいから」
「「……」」

にっこり微笑む天然小悪魔に、双子はもう何も言うまい、と胸中で呟いた。


──そして、一方その頃。

「──はぁ?! 何でキスしないの?!」

碧眼を限界まで見開いて、静かな大人の雰囲気漂う船上のバーでライアンは叫んだ。
声が大きい、とキニアンに慌てて窘められたが、長身の金髪美人は額に手を当てて嘆いた。

「……お兄ちゃん、可哀想」

些かむっとしたキニアンである。

「……そういう自分たちは?」
「え? したよ? っていうか、ソナタちゃんが『ちゅー』ってしてきた」
「『した』んじゃなくて、『された』んじゃないか……」

ぼやくキニアンは、ギムレットをちびちび舐めている。
食事の際の多少のワイン以外アルコールは口にしたことがないが、甘口のカクテルなど飲めない彼に成人男性ふたりが勧めたのである。
ちなみにヴァンツァーは二十五年もののウィスキー、ライアンはマティーニから入った。
このバーでは、男性だけでなく女性もシェイカーを振り、カウンターの客と何事か会話をしている。
さざめくような声で会話する人間が多い中で、ライアンの素っ頓狂な声は一瞬だけ注目を浴びたが、すぐに何事もなかったかのように静かな雰囲気へと戻る。

「あのね、アー君。街を歩けば誰もが振り返る可愛い子が、ドキドキしながら目を閉じて待ってくれてるんだよ?」

それでキスしないなんて男じゃない、とまで言いたげな口調に、かっこつけたがりの高校生としては反論しないではいられない。

「アトラクションの中だぞ?」
「いいじゃない。ひと組だけなんだから」
「出来るか」

けっ、と吐き出すキニアンは、口許に微笑を浮かべながらグラスを傾ける絶世の美貌に目を向けた。

「ヴァンツァーさんも、したんですか」
「人目のないところでないと甘えられないのも、銀髪紫瞳の男の特徴だ」
「……」
「そりゃあお兄ちゃん、怒るよねぇ。せっかく勇気出して恋人を誘惑しようと思ってるのに、ありもしない人目気にするわ、いらん理性と相談するわ」
「だ……五分しかないし」

口篭ったキニアンに、ライアンは危うくマティーニを吹き出しかけた。
学習したらしく、今度は声を低めて、しかしきっぱりとした口調で年下の少年に意見した。

「ナニする気?! そんな延々五分もキスしてなくていいんだよ?!」
「いや……だっ……」
「大方、『キスで止められなかったら困る』と思ったんだろう」
「……」

まさにその通りだったので、キニアンは口を噤んだ。

「あぁ、まぁ、アー君くらいの頃は仕方ないよねぇ。しかも、あんなに可愛い子が彼女じゃねぇ」

マティーニを飲み干し、今度はキール・ロワイヤルを注文する美女のような美青年。
蛇足ながら、席の配置は店の奥のソファー席にキニアンが、カウンターに背を向けた椅子にヴァンツァーとライアンが並んで腰掛けている──完全に、『逃げられると思うなよ』的な説教の態勢である。

「でもさぁ、後から『欲しい』って言っても遅いことって多いよ? 遠慮するのはジジイになってからでいいんだって」
「向こうが望んでいるのだから、応えてやればいい」
「別に、無理やり押し倒そうとしてるわけじゃないんだし」
「迫ってもらえるうちが花だな」

心底羨ましい、と顔に書いている最年長の男は、グラスを空けると同じものをオーダーした。

「で? その後お兄ちゃんのことちゃんとフォローしたんでしょうね?」
「……」

黙り込むキニアンに、ライアンは頭を抱えて「……パパさん、お願いします」と疲れた声で呟いた。

「あの手の男は、一旦機嫌を損ねると扱いが大変だぞ?」
「……嫌というほど体験しました」
「まぁ、その機嫌を直すのがまた楽しいんだが」

何だかうきうきとした口調で話す辣腕の経営者に、キニアンはボソッと呟いた。

「……あいつの口の悪いところって、誰に似たんですか……?」
「シェラ」

きっぱりと言い切られた言葉に、キニアンは「やっぱりそっちか」と項垂れた。
ライアンは興味深そうに、「なに、なに。何て言われたの?」と身を乗り出してきている。
しばらく黙り込んでいたキニアンが口にした単語に、ヴァンツァーは苦笑し、ライアンは爆笑しそうになって慌てて口を押さえた。

「……笑い事じゃないんですけど。あの顔でそんなこと言われた俺の身にもなって下さいよ」

魂が抜け出すのではないか、と思われるため息に、ライアンは「実際どうなの?」と訊ねた。

「……違いますよ」
「まぁ、そうだよね。アー君、顔と身体だけならすごいモテ要素満載だもん」
「……何か、俺、今すごい馬鹿にされた気がするんですけど」
「俺もよく言われる」

しれっと言った男に、ライアンがあははと笑った。

「パパさんの場合、シェラさんが自分のこと好きなら、顔でも身体でもいいんでしょう?」
「一度、冗談で『整形する』って言ったらものすごい怒られた」
「ちょーウケる!」

眦の涙を拭い、今度はジン・トニックを注文する。
それを見ていたキニアンが、「ピッチ速いな」と呟いた。

「ん? おれ? うん。酔ったことない」
「──は?」
「まぁ、多少酩酊はするけど。飲んで記憶なくした、とか、足元が危うくなった、とか、そういうのない」
「……ザル」
「両親とも酒豪でさ。おれ、女に間違えられやすいから、酔い潰れさせてお持ち帰りしよう、とか思うヤツがたまにいるんだけど、逆に返り討ち。何度タダ酒飲んだことか」

あはは、と明るく笑う青年は、本当に顔色ひとつ変えていない。
何だかそれが悔しくて、キニアンは残っていたギムレットを飲み干した。

「おぉ、いったねぇ。でも、無理しない方がいいよ。カクテルに使われてるアルコールは、基本的に度数強いから。飲みやすいけど、後からくる」
「……無理なんてしてない。他に、どんなのがある?」
「じゃあ、シャンパン・カクテルとかは? 有名な映画で『──君の瞳に乾杯』なんてやってたカクテル。やってあげると、女の子喜ぶよ」
「……あんた、そういう情報どこで仕入れてくるんだ?」
「ひ・み・つ♪」

可愛らしい口調だというのに、悪戯っぽく笑った顔が大人の男のそれに見えて、キニアンは軽く眉を寄せて「じゃあそれで」とだけ返した。
ヴァンツァーも酒は強いが、どちらかといえば酒本来の味を楽しむ飲み方をするため、さほど杯は重ねていない。
カクテルが出てくるまでの間、酒肴として頼んでいたものを口に運ぶ。
夕食から多少時間が経っているため、サンドウィッチのような軽食も並んでいる。

「──あ。パパさん、煙草あります?」

徐にライアンが呟いた。

「あぁ」

ポケットから出されたボックスは未開封で、ライアンは「いいんですか?」と訊ねた。

「もともと、滅多に吸わないんだ。身体は動かなくなるし、子どもたちにもいい影響がないからな」

けれど、酒や煙草の類は、ときに何より便利な会話の道具になることを、腕利きの行者だった男は心得ていた。
だから、口にしなくても持ち歩いてはいるのだ。

「じゃあ、いただきま~す」
「……あんた、吸いそうもない顔してるのにな」
「あぁ、うん。煙草は十九でやめました」
「……おかしいだろ、それ」
「あはは」

朗らかに笑って慣れた仕草で紫煙を燻らせる男に、キニアンは微かに眉を寄せた。

「あんた、相当遊んでるだろ」
「ん~? あー、まぁ、高校時代は『来るもの拒まず』なとこあったなぁ」
「……」

真面目なキニアンには、信じられない言葉だったらしい。

「──あ、パパさん誤解しないでね? 今はソナタちゃんひと筋だから」

この言葉に、ヴァンツァーはちいさく笑った。

「見れば分かる」

生身の人間を相手に観客のいない舞台で頂点を走り続けていた男には、それくらい見抜くのは造作もないこと。

「良かった~。出禁になったらどうしようかと思っちゃった」
「ソナタは眼がいい。滅多な男は連れて来ない」
「いやー、だって、最初の頃本気で殺されるかと思ったもんなー」
「冗談だよ」
「嘘だぁ」

いつの間にか、とことん打ち解けて話している黒犬と金犬。
放っておかれたキニアンは、シャンパン・カクテルをほぼ空けていた。
テーブルにうつ伏せになりそうな格好で、ボソボソ呟いている。

「……可愛いときは、ホント可愛いんだけどなぁ。癇癪起こすと手がつけられないんだよなぁ……」

酒も入っているせいか、もともと正直な少年ながら、常よりは多弁になっている。
ボソッと呟く声を聞きつけた先輩ふたりは、達観した様子でこう言った。

「いいこと教えてあげようか」
「女が拗ねたり、怒ったりしたときの対処法だ」

これには身を乗り出したキニアンであった。
新緑色の瞳を輝かせ、こくこく、と頷いた彼に、向かいの席のふたりは声を揃えた。

「「──とりあえず、謝れ」」

けだし、至言である。  




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